2021.3.5 12:00

【ベテラン記者コラム(116)】橋本聖子と片山右京に感じる不思議な縁

【ベテラン記者コラム(116)】

橋本聖子と片山右京に感じる不思議な縁

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片山右京氏

片山右京氏【拡大】

 “縁は異なもの味なもの”。年を重ねると、そう感じる機会も増える。

 1990年代初頭のこと。自動車のF1で欧州のグランプリ(GP)に年に何度か取材に行かせてもらっていた。パドックは今よりのんびりしていて、木曜日の夕方などはドライバーとチームテントで世間話ができた。

 92年か93年だったか。マニクールでのフランスGPだったと思う。片山右京と、彼が所属するティレルのテントで雑談していると、そばにあった写真週刊誌に目を止めた右京が「僕、似ているってよく言われるんですよね」と言い出した。表紙にはスピードスケートで日本の第一人者だった橋本聖子の顔があった。

 後に、橋本が日本選手団主将を務めた94年のリレハンメル冬季五輪を取材する私は、「そんなに似ているかな」と思いながらも、「角度によっては、そう見えるかもね」などと応えたと思う。他愛のない世間話だ。

 ところが、その後の経過は何とも“縁”を感じさせるのだ。橋本氏はスケートの一線を退き、国会議員になった後も、自転車競技で五輪に出場。引退後は日本スケート連盟や日本自転車競技連盟で会長を歴任した。

 一方の片山氏もF1引退後、モータースポーツのほか、子供の頃から慣れ親しんでいた登山と自転車競技で活動を続けていた。ロードレースチームを立ち上げるなどし、2018年には全日本実業団自転車競技連盟の理事長に。当時の橋本会長が率いる日本連盟の傘下団体の長となったのだ。

 片山氏と久々に会ったのは19年。東京五輪・パラリンピック組織委員会の自転車競技スポーツマネジャーに就いていた。「あの頃、あんな話をしていた聖子さんと、今は一緒に仕事をしているんだね」というと、「そうなんですよ」と懐かしそうにほほ笑んでいた。

 その後、橋本氏は五輪相就任で競技団体会長を辞任。片山氏はロードレースの国内プロ化をめぐる路線の違いで理事長を退任-と、さらに曲折を経た。だが橋本氏が組織委の会長に就任し、道は再び交わった。片や大会運営の最高責任者、片や競技現場の責任者として大会の成功を目指し、大変な苦難に立ち向かう。

 今夏、大会が成功裏に行われ、2人が笑顔で並ぶ場面があればいいなと思う。そうしたら、こういってみたい。「似てるかな?」(只木信昭)