【ベテラン記者コラム(100)】
最後のマラソンとなった第31回大阪国際女子マラソンで10位の坂本直子【拡大】
第40回の節目の大会となる「大阪国際女子マラソン」が31日に行われる。今回は新型コロナウイルスの影響で、コースが長居公園の周回コースに変更された。2度目の緊急事態宣言下でのレース。御堂筋など大阪の中心街を走るいつもの風景を見られない寂しさはあるが、何とか開催にこぎつけたられたことを素直に喜びたい。
サンスポ、特に大阪本社の人間にとって、1月最終週の日曜日といえば「大阪国際女子マラソン」である。「ナニワに春を呼ぶ新春の風物詩」「国内屈指の高速コース」「若手の登竜門」などのフレーズを主催者メディアの記者として、これまで何度書いてきたことか。
「手あかにまみれた紋切り型は使うたらあかん。浪速路は禁止や!」
そんな無茶なお達しを出した上司もいたが、その人もベタなフレーズを長年書いてきた一人だった。ベタ上等! 第1回の1982年からコロナ禍の今も大阪の春は「大阪国際女子マラソン」から始まるのである。
長いことこのマラソンを見てきた。印象に残るレースはたくさんあるが、アテネ五輪の代表選手選考会を兼ねた2004年も忘れられない大会だった。スタート時の気温は3・8度。直前まで雪が舞う悪コンディションで最初の5キロを先頭集団は18分19秒の超スローペースで通過した。集団のまま中間点の通過タイムは1時間15分34秒。勝負に徹したじりじりする展開だったが、30キロから猛然とスパートしたのが優勝した坂本直子(天満屋)だった。
30キロから35キロの5キロは15分47秒という驚異的なタイムをマークした。30キロ以降の5キロを15分台でカバーした女性ランナーは、今でも元世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ(英国)ら数人しかいないはずだ。
坂本は前年の03年の大阪で初マラソンを走り、2時間21分51秒の初マラソン日本最高(当時)をマークして3位に入った。最後のマラソンも一般参加で出場した12年の大阪。兵庫・西宮市出身の大きな目ときりっとした眉毛が印象的な明るい選手だった。
温泉が大好きでチームメートと城崎温泉に旅行し、カニを食べるのが楽しみの一つだと聞いたことがある。「大阪国際女子マラソン」の大会事務局の一人としてレースに携わっていた時期、坂本ら天満屋の選手たちと「大阪国際が終わったらみんなで城崎に行きましょう」と盛り上がったこともあった。残念ながら温泉&カニツアーは実現しなかったが…。
今年はどんなドラマが見られるのか。しっかり見届け、今年もベタで熱い紙面を読者に届けたい。(臼杵孝志)