2020.12.25 12:00

【ベテラン記者コラム(87)】柔道・阿部対丸山で思い起こした過去の名勝負

【ベテラン記者コラム(87)】

柔道・阿部対丸山で思い起こした過去の名勝負

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丸山城志郎(左)を攻める阿部一二三=13日、東京・講道館(代表撮影)

丸山城志郎(左)を攻める阿部一二三=13日、東京・講道館(代表撮影)【拡大】

 久々にドキドキ、ワクワクしながら柔道の試合を見つめていた。13日に行われた東京五輪男子66キロ級代表決定戦だ。勝つのは阿部一二三か、丸山城志郎か。24分間の攻防は見ごたえがあった。

 当コラムでは過去、1990年の全日本選手権決勝・小川直也対古賀稔彦や、88年ソウル五輪での斉藤仁の戦いを振り返ったが、そうした試合と並んで歴史に残る名勝負だったと思う。

 通常の試合と少し違うのは“ワンマッチ形式”だったこと。中継したテレビは宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った「巌流島の決闘」になぞらえていた。確かに真剣で切り結ぶような緊迫感に満ちていたが、私が思い起こしたのは、講道館草創期に他流と演じられた真剣勝負の話だった。

 嘉納治五郎が柔術諸派を修行・研究し、講道館柔道を創設したのは1882(明治15)年。当初は江戸時代から続く柔術各派から軽んじられていたというが、87(同20)年前後(諸説あり)、警視庁道場で行われた他流試合で講道館が柔術に完勝、繁栄の道をたどるきっかけとなった。

 講道館四天王の一人で出場した山下義韶(よしつぐ)の証言からは、講談物を読むようなワクワクを感じる。同じ四天王で小説『姿三四郎』のモデルとされる大将・西郷四郎は身長153センチ。相手は173センチと当時なら大柄で筋骨隆々、ひげを蓄えた偉丈夫だったが、西郷は背負い投げ、幻の技・山嵐、ともえ投げ、横捨て身でしたたかに投げつけ、「参りました」と言わしめたという。

 その後の講道館で修行した前田光世が渡米してレスラーやボクサーと戦い、ブラジルで伝えた技が、今や総合格闘技で強さを発揮しているグレイシー柔術の源流。その創始者、エリオ・グレイシーと「柔道の鬼」と異名をとった木村政彦の対戦も心を躍らせる。この試合は映像が残っており、ネット上で見ることができるが、大外刈りから腕がらみに決める木村の強さや、決して参ったをしないエリオの勝負魂には心を震わせられる。

 そうした過去の数々の名勝負をも思い起こさせ、柔道の醍醐味(だいごみ)を味わわせてくれた、今回のワンマッチ。舞台となった講道館大道場の上座から嘉納先生の肖像が見つめていたのも、柔道経験者の琴線に触れるものがあった。今後、新たな伝説として長く語り継がれていくことだろう。(只木信昭)