2020.12.13 12:00

【ネクストスター候補(31)】永田大士“選手外通告”から初防衛成功/BOX

【ネクストスター候補(31)】

永田大士“選手外通告”から初防衛成功/BOX

特集:
記者コラム
ネクストスター候補
ポーズを決める永田大士

ポーズを決める永田大士【拡大】

その他の写真(1/2枚)

 プロボクシングの日本スーパーライト級王者、永田大士(だいし、30)=三迫=が10日、負傷判定引き分けの形ながらも初防衛に成功した。プロ転向前の自衛隊体育学校所属時代には“選手外通告”を受けたほど低迷した時期もある。その後、“縦”のファイトスタイルを確立して日本王者となった。好選手がそろう同級国内トップ戦線で、主役として君臨し続ける。(取材構成・尾崎陽介)

 今月10日の初防衛戦を目前に控えた頃、永田に「自身が思うプロボクサーとしての長所」について聞いた。すると、こんな答えが返ってきた。

 「体の強さとバランスの良さですかね。体全体を使ったボクシングで相手の軸を崩していく。僕は縦に強い選手なので」

 前に出てプレッシャーをかけながら闘い、相手を後ろに下がらせる。2014年のプロ転向後、大事にしてきたファイトスタイルだ。タッグを組む加藤健太チーフトレーナー(35)からも常々、「お前は縦だからな。ブレるなよ」と言われているという。

 今年7月に日本王座を獲得した井上浩樹(大橋)戦は、その縦の強みが生きた。技巧派の井上に対して左右のパンチを繰り出しながら前に出て、7回TKO勝ち。同級2位の近藤明広(35)=一力=との初防衛戦でも中盤までは主導権を握ったが、偶然のバッティングで永田が左目の上をカットして7回で試合続行不可能に。負傷判定引き分けで、何とかベルトは死守した。「近藤は(ディフェンスで)頭をずらすのがうまかった。それに対応できず未熟だった」と課題も口にした。

 宮崎・日章学園高1年でボクシングを始め、高校時代の最高成績は国体5位。当時は足を使って遠い距離で闘うスタイルだった。自衛隊体育学校のコーチにスカウトされる形で卒業後に自衛隊に入隊。しかし同じ階級に2007年世界選手権銅メダルで08年北京五輪代表の川内将嗣がおり、歯が立たなかった。「スタイルを見失った」。成績は低迷。右肘のけがをしていた13年3月には選手外通告も受け、一般自衛官として東京・練馬駐屯地に転属となった。

 しかし諦めきれず、東京・練馬区の三迫ジムに練習生として通いながら自身で申請を出して大会に出場する日々を過ごした。同ジムのプロボクサーらの姿に「ボクシング一本で生きている。そこまでかけられるって、すごい」と感銘を受け、14年にプロ転向。6年で日本王者となった。

 スーパーライト級の国内トップ戦線には、東洋太平洋王者で永田が1度敗れている内藤律樹(29)=E&Jカシアス、日本1位の平岡アンディ(24)=大橋=ら好選手がそろう。ファイトスタイルをさらに突き詰め、猛者を相手に“縦”へまっすぐ突き進んでいく。

【一問一答】

 --アマチュア時代に“選手外通告”を受けても諦めなかった理由は

 「終わりを決めるのは自分と思っていた。結果を出せば選手に戻ることもある。その希望があった。『俺は本当にボクシングが好きなんだ』と、すっきりした」

 --三迫ジムのプロボクサーの姿が、プロ転向を決意させた

 「(現日本フライ級4位の)藤北誠也さんや(現日本ウエルター級王者の)小原佳太さんらに影響を受けた。アマチュアでいようと思っていたが、安定を投げ出してでも自分がやりたいことをやろうと」

 --自衛隊体育学校の関係者とのつながりは

 「同期や上司の方が試合を見に来てくれる。(東京五輪ライト級代表の)成松大介は、日本王座をとったときに『おめでとう』とLINEをくれた」

 --加藤チーフトレーナーの存在は

 「ずっと見てくれているので、ありがたい。(セコンドから)言おうとしていることが言う前からわかる。意思の疎通ができている」

 --今後闘いたい選手は

 「そこはジムに任せる。何度か防衛できたら、自分の意見を少し言いたい。内藤に借りを返したい。王者は1人でいい。(平岡)アンディも興味がある。スパーリングをしたこともある」

■永田 大士(ながた・だいし)1990(平成2)年1月12日生まれ、30歳。宮崎・川南町出身。中学3年でキックボクシングを始め、宮崎・日章学園高へ進学してボクシングに転向。卒業後に自衛隊へ入隊した。2012年全日本社会人選手権ライトウエルター級で優勝。14年8月プロデビュー。18年10月に東洋太平洋スーパーライト級王者の内藤律樹に1-2の12回判定負け。20年7月に日本同級王座を獲得。プロ戦績19戦15勝(6KO)2敗2分け。左ファイター。175センチ。