【ベテラン記者コラム(81)】
1996年、国内最高峰の四輪レースは全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)へ衣替え。その初年度に鳴り物入りで参戦したのがF1王者、ミヒャエル・シューマッハーの弟、ラルフだ。
3勝を挙げて初代王者となり、翌年F1に昇格するラルフは、ドイツの故郷に似ているからと山梨県の山中湖近くに住んでいた。静岡・富士スピードウェイでのレースの際には自宅からの通いで毎度、ある“記録”に挑戦しており、パドックで顔を合わせると「今日はどうだった?」と聞くのが恒例になっていた。
20歳から21歳でやんちゃ盛りだったラルフ。そのマネジャーだったのがフランツ・トスト氏だ。物静かで出しゃばらず、落ち着いた眼で若いドライバーを見守る姿が印象的だった。彼の名をニュースで見るようになったのは、それから10年ほど後のこと。F1チームの代表に就任していた。
彼の母国・オーストリアの大手企業、レッドブルが既存チームを買収し2005年から「レッドブル・レーシング(RBR)」としてF1に参戦開始。1年後にはイタリアの下位チームも買い、レッドブルのイタリア語訳で「スクーデリア・トロロッソ(STR)」と名付けてRBRのジュニアチームに位置付けた。代表として白羽の矢が立ったのがトスト氏だ。
レッドブルのドライバー育成計画で育った若手をSTRに乗せ、実力があればRBRに昇格させる。STRでトスト氏の薫陶を受けて成長したのが4度の世界王者セバスチャン・フェテル(ドイツ)や、今やトップを争うマックス・フェルスタッペン(オランダ)だ。
その名伯楽が日本人ドライバーの育成に本格的にかかわる。今季、F1直下のF2で新人王を獲得、総合3位でF1の資格を得た角田裕毅(20)が、15日のF1合同若手テストにアルファタウリ(STRから今季名称変更)から参加。同チームでの来季F1参戦も確実視されている。実現すれば7年ぶりの日本人F1ドライバー誕生だ。さらにチームは9日、佐藤万璃音(まりの、21)の同テスト参加も発表した。
日本人との働き方を熟知するトスト氏は、ホンダの戦闘力向上でも鍵になった。15年の参戦開始から不振で、パワーユニット供給先のチームに“三くだり半”を突き付けられたホンダが、18年にSTRと組むと開発が進んだ。19年にはRBRへも供給を開始、以降、アルファタウリの1勝を含む5勝を挙げている。
2人の日本人ドライバーもトスト氏がいれば不安はないだろう。ホンダが来季限りでF1活動を終了しても、将来への期待は続く。(只木信昭)