【ベテラン記者コラム(80)】
初優勝した日体大・花田秀虎=【拡大】
掘り起こされた記録とともに、そこに染みついた人のにおいもつれてきた。
相撲の全日本選手権が6日、東京・両国国技館で開かれ、19歳の花田秀虎(日体大)が初優勝を飾り、「アマチュア横綱」に輝いた。大学1年生での大会制覇は高校3年から2連覇した日大の久嶋啓太以来36年ぶり、2人目の快挙だった。久嶋といえば史上初の高校生アマ横綱となり、大学時代に獲得した個人通算タイトル数は「28」。現在もこの記録は破られていない。
187センチ、200キロを超す体格。鳴り物入りでプロ入りした早熟の怪物は、しこ名を久島海として幕内に定着したものの、現役時代は三役には届かず、平成10年九州場所直前に引退。年寄「田子ノ浦」を襲名し、12年2月に出羽海部屋から独立して田子ノ浦部屋を再興したが、24年2月に虚血性心不全のために急逝。46歳だった。
同部屋初の関取は、23年名古屋場所で新十両に昇進したブルガリア出身の碧山だ。11月場所では東前頭8枚目で6勝9敗だった。入門時の師匠の死去を受けて、現在所属する春日野部屋への転籍を余儀なくされた碧山は、それまで土俵入りで使っていた「田子ノ浦部屋後援会」の文字が入った化粧まわしをつけることができなくなってしまう。
碧山が後援会から初めて贈られた化粧まわしは、紺色地に白色で元師匠の家紋が描かれていた。生前に師匠自らがデザインし、家紋を持たない外国出身力士との絆を示す気持ちが込められていたという。所属部屋はかわっても、元師匠のおかみが化粧まわしに刺しゅうされた「(田子ノ浦部屋の)文字をかえれば使えるようになる」と勧めてくれた。
だが、碧山は「かえたくない。かえるくらいなら(化粧まわしを)つけられなくなっても結構です」とかたくなに固辞した。亡き師匠の大切な“形見”に手を加えることなどできはしない。尊崇と畏敬の念が育んだ師匠への思いが、このやりとりで伝わってきた。
元田子ノ浦親方は月刊誌に料理の連載を持っていたほどの食通で、ちゃんこにも腕を振るい、碧山には乳製品を多く使った洋食や好きなワインに合う副菜を用意してくれたと聞く。こうした日常の気遣いが積み重なって、感謝へとかわっていくのだろう。碧山はかつて、月命日には元師匠の墓前へ足を運ぶと口にしていた。
弟子の振る舞いをみれば、師匠がわかる。親方をみれば、その弟子がわかる。36年ぶりの快挙が、記憶のひだを刺激した。