2020.11.5 12:00

【ベテラン記者コラム(65)】野村忠宏と2人で食べた天理ラーメン

【ベテラン記者コラム(65)】

野村忠宏と2人で食べた天理ラーメン

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アテネ五輪で3連覇を飾った野村忠宏

アテネ五輪で3連覇を飾った野村忠宏【拡大】

 16年ぶりに近鉄・天理駅を利用した。隣接するJRの駅舎も含めてゴミ一つ落ちていないのは、以前とまったく変わっていない。先月26日に開かれたプロ野球、ドラフト会議で指名候補がいる奈良・天理大の担当となり、きれいで清潔だと改めて感心した駅に降り立った。大ざっぱで、いい加減な性格の自分には妙に落ち着かない駅でもあるが…。

 前回の訪問は2004年のアテネ五輪で担当した柔道の取材だった。全柔連(全日本柔道連盟)の強化合宿と、個人種目では日本人初の五輪3連覇を目指す野村忠宏の取材で何度か彼の母校の天理大に足を運んだ。

 アテネ五輪でも野村は強かった。準決勝まですべて一本勝ち。決勝の5分間も終始攻め続けた。当時29歳。00年シドニー五輪後は引退も考え、米国に語学留学もした。しかし、「アテネを集大成の場にしたい」と戦いの場に戻ることを決めた。01年には元モデルの葉子さんと結婚。アテネで女子48キロ級の谷亮子は「田村で金、谷でも金」を有言実行したが、野村も「妻にはずっと迷惑をかけてきたので」と並々ならぬ決意で臨んだ“夫でも金”だった。

 野村の取材は楽しかった。2学年上で01年に天理大の監督に就任した篠原信一との掛け合いは、まさに漫才だった。60キロ級で164センチの野村に対し、無差別級の篠原は190センチ。凸凹コンビの軽妙なやり取りに何度も腹を抱えて笑った。

 アテネ五輪後も野村は現役を続けた。自身3個目の金メダルは、日本が五輪で獲得した通算100個の金メダルともなった。偉業を花道に引退-が多くのメディアの論調だったが、自分は「野村の頭の中に引退の二文字はない」と書いた。

 五輪会場でほかの選手を応援していたときだったと思うが、少しだけ野村と話す時間があった。現役続行と書いたことを伝えると、少しむっとした表情になった。「知りませんよ。そんなこと書いて」の類を言われたと思うが、「だってそうでしょう」と返すとそれ以上は何も言わなかった。結局、野村は15年まで現役を続けた。でも、そんなやりとりよりも、一番の思い出は、天理大の取材の帰りに2人で天理ラーメンを食べたことだ。

 誘ってくれた彼が運転する車でひいきの店に連れていってくれた。記者冥利(みょうり)の瞬間…。ただ、数年前に会った野村にそのことを話しても、まったく覚えていなかった。記者あるあるである。(臼杵孝志)