2020.10.29 12:00

【ベテラン記者コラム(62)】元横綱輪島さん、代名詞の「黄金の左」の先に“黄金の右”があった!?

【ベテラン記者コラム(62)】

元横綱輪島さん、代名詞の「黄金の左」の先に“黄金の右”があった!?

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元横綱の輪島大士さん

元横綱の輪島大士さん【拡大】

 空が高く、筋雲も浮く秋らしい日だった。斎場には現役時代に締めていた締め込みと同じ、黄金色のカーペットが敷かれ、その上を霊柩(れいきゅう)車が滑り出していく。大相撲の元横綱で、のちにプロレスラーに転じた輪島大士(ひろし)=本名・輪島博、享年70=さんが平成30年に亡くなって、8日に三回忌を迎えた。

 輪島さんと深い話をするようになったのは、華やかな舞台での活躍を終えたあとだった。チームカラーの紫色のキャップをかぶり、スタジアムジャンパーに身を包み、グラウンドのサイドラインに立っていた。「日刊アルバイトニュース」で知られた、当時存在した企業「学生援護会」が母体で、社会人アメリカンフットボールのクラブチーム「ROCBULL(ロックブル)」の創部当時から総監督に就いていた。

 日大相撲部出身の輪島さんは、国内屈指の強豪だった日大アメフット部を率いたカリスマ指導者、篠竹幹夫監督(故人)の知遇を得て人脈を構築していた。チームには本場米国から招いたヘッドコーチが実質的な指導を行っており、「わたしの仕事は試合開始前、『気合、入れていけ』と引き締めるんですが、その言葉に気合を込めています」。「相手が英語のスポーツですからね。これは難敵ですな」。会話にはいつも、ユーモアが詰まっていた。

 チームが平成12年、社会人1部に相当する「Xリーグ」に昇格。輪島さんはこれを「新入幕」と表現し、強い相手を「横綱」「三役」と持ち上げて敬意を表した。俯瞰(ふかん)的に観察するような発言でリーグ全体をPRし、大相撲の屋台骨を支えた男のにおいを漂わせた。

 輪島さんといえば、すぐに「黄金の左」の代名詞が思い浮かぶ。目に焼きつく黄金色の締め込みと、輝くような切れ味を「黄金」にかけた、得意の左下手投げを指す。ところが、「自分は右利きだし、実際は握力だって右の方が強かった」。むしろ左を差して、おっつけるかたちで、右手でつかんだ相手の左肘を内側にねじり上げる「絞り」が強かったと自己分析していた。「黄金の左」の先には、“黄金の右”があったのだ。

 もっとも、横綱になるほどの地力を持つ力士には、右も左もないのだろう。輪島さんが、イデオロギーに執着せずに天下を論じる政治家になっていたら…。また、思い出し笑いをさせていただきました。合掌。(奥村展也)