2020.10.15 12:00

【ベテラン記者コラム(56)】正代には「道場訓」をかみしめてほしい

【ベテラン記者コラム(56)】

正代には「道場訓」をかみしめてほしい

特集:
記者コラム
ベテラン記者コラム
大関昇進が決まり、騎馬上でガッツポーズする正代=30日午前、東京都墨田区の時津風部屋(代表撮影)

大関昇進が決まり、騎馬上でガッツポーズする正代=30日午前、東京都墨田区の時津風部屋(代表撮影)【拡大】

 大相撲の正代(28)が、9月の秋場所後に大関へ昇進した。祝いと喜びの声が連なるなかで、新大関が口にした覚悟が耳に残る。

 「時津風部屋の看板を汚さないように必死で頑張る」

 正代が所属する現在の時津風部屋は不世出の大横綱双葉山(のちの時津風親方)が開いた「双葉山相撲道場」を源流とする。双葉山は最多連勝記録(69)などの実績が評価され現役力士のまま弟子を育成できる二枚鑑札が許可され、昭和16年5月に立浪部屋から独立、道場を開いた。東京・墨田区にある現在の部屋の玄関上部にはいまも「双葉山相撲道場」の看板が掲げられている。

 稽古場の上がり座敷に飾られた力士の絵画、手彫りの欄間、てっぽう柱や羽目板の一部は当時のまま残されている。部屋の先々代師匠で元大関豊山、日本相撲協会の理事長も務めた内田勝男さん(83)から師匠だった双葉山について随分とうかがい、「この土地だけは何があっても守らなければと思ったよ」と話に熱が入ったものだ。

 時津風部屋からの新大関誕生は昭和38年初場所後の豊山以来で、優勝も同年名古屋場所の北葉山以来ともに57年ぶり。内田さんは東農大の後輩が賜杯を抱いた姿に「北葉山さんが生きていたらどんなに喜んだろう。目の黒いうちに優勝をみられて本当によかった」。

 協会から使者を迎えた昇進伝達式にも列席した内田さんは終了後、東京都内に眠る双葉山の墓前へ報告に出向き、手を合わせた。優勝を決めた千秋楽の取組前にも墓前を訪れ成就を祈ったそうで、「願いをかなえてくれてありがとうございます、とお礼にね。これがわたしの仕事だと思っているから」。命日や節目には師匠の墓を参るが、部屋の力士らには決して強要はしない。

 伝統や伝承はこうした精神性に立脚するものとつくづく思う。道場を設立した双葉山は自著「相撲求道録」のなかで「この身に体得した限りのものを、それが自分の体に生きている間に若いものに伝えておきたい」とつづった。道場には思想家の安岡正篤によって揮毫(きごう)された「力士規七則」を掲げ、国技を担う自負をうたう道場訓とした。明治維新の精神的指導者、吉田松陰が武士の心得を記した「士規七則」にならってつくられたもので、現在の部屋の稽古場の壁にも「力士憲章」として額が掛けられている。

 かねてから後援者に教わり、正代も気に入ったことで伝達式の口上に盛り込んだ「至誠一貫(しせいいっかん)」の四字熟語。これはいみじくも松陰の座右の銘だった。力士は所属する部屋の成り立ちをもっと学び知ってほしい。歴史の縦糸は、きっと背筋を正してくれる。(奥村展也)