2020.9.11 12:53

【ベテラン記者コラム(42)】「北天佑」の文字を見て思い出したこと

【ベテラン記者コラム(42)】

「北天佑」の文字を見て思い出したこと

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昭和58年夏場所、初優勝を飾った当時関脇の北天佑。大関昇進も決めた

昭和58年夏場所、初優勝を飾った当時関脇の北天佑。大関昇進も決めた【拡大】

 久しぶりに紙面で「北天佑」の文字を見た。

 大相撲の大関貴景勝が婚約を発表し、お相手が元大関北天佑(2006年6月死去)の次女、千葉有希奈さんだった。

 祖父と同居していた少年時代、本場所中は必ずNHKのテレビ中継が流れていた。祖父は北の湖や千代の富士といった大横綱がお気に入りだったが、私は貴ノ花や魁傑、その後はなんといっても北天佑だった。

 均整のとれた体格で、左でまわしを握れば上手でも下手でも怪力を発揮。関脇で初優勝したときはすぐにも横綱と期待された。一時は千代の富士にも5連勝し、入幕して黒船旋風を巻き起こしていた若き日の小錦も左からの投げで何度も土俵にたたきつけたものだ。

 小錦の突きをしのいで土俵を回り込みながら左下手投げで一度宙に浮かしてから豪快に裏返しにした一番がとくに印象的だ。土俵をたたいて悔しがる小錦を見向きもせず、さがりを取って勝ち名乗りに向かう姿は実にかっこよかった。

 私が記者になったのは北天佑が引退した後だったが、のちに相撲担当になったときに“接点”があった。元北天佑の二十山親方が三保ケ関部屋から独立して部屋を興すという話をつかみ、巡業先の宿舎で話を聞かせてもらい、記事にさせてもらった。若手記者の突撃に最初は渋っていたが、「書くならきちんと書いてくれよ」と部屋の設計案などを教えてくれた。豪快な相撲を取っていた北天佑はとてもきちょうめんな方だった。

 それから12年後、二十山親方の訃報が流れた。その頃は五輪競技の担当をしていたが、相撲担当記者が別の取材に回っていたため、東京都墨田区の二十山部屋の前へ駆けつけた。45歳の若さ。葬儀の準備が進む部屋のようすを信じられない思いで見ていたことを思い出す。

 千葉有希奈さんはモデル時代、二所ノ関親方(元大関若嶋津)の長女の女優、アイリさんらとともにテレビ番組や雑誌などで相撲の魅力を伝えていて、そのたびに北天佑の名前が紹介されていた。貴景勝との結婚で、これからも「北天佑」が語り継がれるだろう。(牧慈)