2020.8.21 12:00

【ベテラン記者コラム(33)】国を背負った古橋広之進氏、日本スポーツ界最大のヒーロー

【ベテラン記者コラム(33)】

国を背負った古橋広之進氏、日本スポーツ界最大のヒーロー

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“フジヤマのトビウオ”といわれた古橋広之進氏

“フジヤマのトビウオ”といわれた古橋広之進氏【拡大】

 8月になると、ふと突然の訃報を思い出す。2009年8月2日、当時の日本オリンピック委員会(JOC)会長、古橋広之進氏が死去した。水泳世界選手権開催中のローマでの客死だった。

 自由形長距離で世界記録を何度も上回り、敗戦で打ちひしがれた国民を鼓舞した古橋氏を、私は日本スポーツ界最大のヒーローだと思っている。

 戦後初の五輪、1948年ロンドン大会に日本は出場を認められなかったが、当時の日本水連会長・田畑政治が五輪期間中に日本選手権を開催。古橋と、親友でライバルの橋爪四郎が、五輪金メダリストを大きく引き離す“世界新記録”を連発する、圧倒的な強さを示して国民を熱狂させた。

 49年8月には全米選手権に招待され、橋爪が世界新を出すと古橋が塗り替えるという形で圧勝。「神宮プールは空襲で壊れて短くなった」などと記録に懐疑的だった米メディアを一変させた。この時の現地報道から“フジヤマのトビウオ”の愛称が生まれている。

 もちろん私は生まれる前で、時代の空気を体験していない。だが取材で「古橋の試合には観客が押し寄せ、場外の街路樹にまで人が鈴なりになった」「プロ野球の関係者が競合を避けるため、日本水連に試合の開催予定を問い合わせてきた」などの証言を聞けば聞くほど、古橋氏の存在がスポーツの枠を超えて国民を支え、戦後復興を後押ししたのだと感じた。

 古橋氏とは初めて会った90年代以降、何度も話をさせてもらった。少々頑固だが実直な点が同い年の私の父と重なった。

 全米選手権について聞いた際には「楽な気持ちでスタート台に立ったときは記録が出ない」と話していた。50年の南米遠征で患ったアメーバ赤痢で体調を崩し、52年のヘルシンキ五輪では全国民の期待を受けながらも8位。橋爪氏によると古橋氏は「日本に帰らない」と言い出したという。

 あの時代に国を背負って泳ぎ続けた人からすれば、96年アトランタ五輪で選手が「五輪には楽しむために出る」と話したことに激怒したのも、むべなるかなと思う。

 古橋氏に関して、よく「48年の日本選手権で世界記録を何度も樹立」と表現されるが、これは間違い。古橋氏の公認世界記録は個人種目では6度で、大半は49年の全米選手権だ。同年6月まで日本水連が国際水連から除名されていたため、それ以前は世界新のタイムでも「樹立」はできなかった。時代を表す一つの事実である。(只木信昭)