2020.6.25 12:00

【ベテラン記者コラム(8)】タイソンの「耳噛み事件」と「酒鬼薔薇聖斗」

【ベテラン記者コラム(8)】

タイソンの「耳噛み事件」と「酒鬼薔薇聖斗」

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ベテラン記者コラム
マイク・タイソン(2013年撮影)

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 梅雨どきになると、思い出す。風化させてはならない事件の爪痕が、この時期にうずくからだ。

 「とんでもないことになった」。生唾を飲み込みながら、居合わせた他社の記者らと顔を見合わせ、いすを蹴った。

 1997年6月28日(日本時間29日)。WBA世界ヘビー級タイトルマッチが、米ネバダ州ラスベガスで行われた。王者イベンダー・ホリフィールドに、元王者マイク・タイソン(ともに米国)が挑戦。前年11月に王者がタイソンから同王座を奪って以来の再戦だった。3回。タイソンがホリフィールドの右耳を噛みちぎり、その肉片をキャンパスへ吐き捨てた。さらに左耳にも噛みつく暴挙にでた。賭けの対象となっていたビッグマッチ。ゴングが鳴らされると同時に、騒然となった群衆がリングに集まってくる。

 「世紀の耳噛み事件」は目の前で起こった。リング四方のコーナーへ立ったラスベガス市警の警察官が拳銃を天に向け、威嚇の銃声を響かせる。警察官30人以上がリング上の乱闘を収拾する大混乱。おおかたの仕事を終えた深夜になっても興奮は冷めず、独特の人工的な匂いが漂うカジノで過ごした。

 数年前、旧知の脳外科医と会う機会があった。思い出話としてこのときの様子を話した。あまりに詳細に語る様子をみていた彼は「ある種の『メンタル・タイムトラベル』だな」と説明してくれた。記憶をつかさどる海馬(かいば)にある神経細胞が10倍速以上の早さで「いつ、どこで、どのように」という特定の出来事(エピソード)を想起させることをいうそうだ。

 目(写真や文字)、耳(音)、香り(匂い)などの要素が結びつき1つのシーンとして統合され、約9年前の記憶が1週間前の日常的な記憶と比較しても同程度の鮮明さを持つ研究結果もあるという。警察の捜査員らが同じ質問を繰り返し、記憶を刺激するのもこの一種だといわれる。

 タイソンの愚挙は、米紙でも1面で扱われていたが、国内の新聞ではそうはならなかった。日本時間の日を同じくして各紙は連日、ある少年の犯罪を伝えていた。逮捕、供述、取り調べ…。「酒鬼薔薇聖斗」。この猟奇的な活字をみるたびにあの「銃声」や「カジノの匂い」が、鮮やかによみがえる。(奥村展也)