2020.6.12 12:00

【ベテラン記者コラム(3)】決してあきらめない「あの街角まで」の信条

【ベテラン記者コラム(3)】

決してあきらめない「あの街角まで」の信条

特集:
ベテラン記者コラム
メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さん

メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さん【拡大】

 子供のころ印象に残ったCMがある。懸命に走るランナーの映像に「私は苦しくなると、よくやめたくなるんです。そんな時、あの街角まで、あの電柱まで、あと100メートルだけ走ろう、そう自分に言い聞かせながら走ります」と声が重なる。1968年メキシコ五輪マラソンで銀メダルを獲得した君原健二さん(79)が自身の信条を語る、公共広告機構(現ACジャパン)の青少年自殺防止キャンペーンだった。

 その君原さんに初めてお会いしたのは産経新聞の戦後50年企画「戦後史開封」でマラソンを担当した95年。64年の東京五輪は自己記録より3分半も遅いタイムで8位(当時の入賞は6位まで)に終わり、自己嫌悪で引退を考えたこと、「4年に1度の素晴らしい大会に自分が2度も出るのはフェアプレーの精神に反する」と固辞したメキシコ五輪には周囲になだめすかされて出ることになったこと-など、数々のエピソードをお聞きした。

 東京五輪の銅メダリストで68年に自殺した親友・円谷幸吉さんのために走ると臨んだメキシコ五輪。ところが終盤、下腹部に痛みを感じ「トイレへ行くロス時間と我慢して走るロス時間を計算しようとしたが、思考力が続かなかった」。苦境を克服したのが「あの街角まで」の信条だった。

 腹痛に苦しみながら日本陸上界に戦後初の銀メダルをもたらしたこと自体、すごいことだが、驚かされたのはそのあとの話だ。ゴール後、当時の指導者に「すみません」と謝り、「メダルを返上したい」と続けたのだという。「自分はトイレのことを考えていて、運が良かっただけ。ベストを尽くした人に申し訳がない」と。誠実できまじめな人柄に感銘を受けた。

 引退後の市民マラソンも含め、出走70回以上で棄権なしという記録にも性格が表れている。その後も何度か電話でお話をお聞きしたが、電話口で直立不動でいるかのような話しぶりに、こちらは恐縮するばかりだった。

 円谷さんの故郷、福島県須賀川市の円谷記念マラソンに毎年出場し続けてきた君原さん。今年予定されていた東京五輪の聖火リレーも須賀川で走る予定だった。新型コロナウイルスの影響で中止になり、「やむを得ない」と話していたが、今度も決してあきらめず来年を目指すのだろう。(只木信昭)