2020.3.25 10:00

【大関朝乃山(中)】中学時代に左肘骨折、右四つ極める原点に

【大関朝乃山(中)】

中学時代に左肘骨折、右四つ極める原点に

 今や朝乃山の代名詞となった、右四つの型。右を差し、まわしを引かれたときの相手の慌てっぷりが、どっしりとしたスケール感をさらに際立たせる。その礎は故郷・富山時代に築かれ、名門の近大相撲部でさらに磨かれた。

 小学4年から相撲をはじめ、富山市立呉羽中1年のときにハンドボール部から相撲部に勧誘した杉林雅章相撲部顧問(43)は「(朝乃山が)入ったときはポチャッとしていて“餅”みたいだった。今とは全然体格は違いましたね」と懐かしそうに振り返った。

 「頭から当たれ」「前に出ろ」とシンプルな指導法で育てたが「右差し、左差しと両方できた。逆に言うと、相手に合わせてしまっていた」。これなら勝てる、という型はまだなかった。

 富山県選抜で出場した中3年時の全国大会で転機が訪れる。相撲できめられた際に左肘を骨折した。「恐らく(右四つになる)きっかけ。さらにけがをしたら困るから、反対側の右腕で相撲をとらせました」と杉林顧問は話した。

 富山商高に進学し、当時の相撲部監督だった浦山英樹さん(享年40)の下、右四つをさらに磨いた。今年1月の初場所中。朝稽古を終えた朝乃山は「たまに先生の夢を見る。懐かしいし、引き締まります」と絆の深さをうかがわせた。

 近大相撲部では元監督の伊東勝人さん(享年55)に指導され、個人タイトルを7つ獲得するまでに成長。プロへの扉を開いた。「厳しかったですけど、愛情のあるネチネチ(笑)。細かいところを指導してもらって、今となってはそれが大事だった」とまな弟子は感謝した。

 何人もの恩師に導かれ、ついにたどりついた。「新大関朝乃山」が、25日に誕生する。(大相撲取材班)