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【TOKYO2020カウントダウン】一山、受け継ぐ“円谷イズム”「コツコツ積み重ねが大事」

【TOKYO2020カウントダウン】

一山、受け継ぐ“円谷イズム”「コツコツ積み重ねが大事」

特集:
東京五輪競技ニュース
選手たちは円谷さんの墓前で決意を新たにした (日本陸連提供)

選手たちは円谷さんの墓前で決意を新たにした (日本陸連提供)【拡大】

前田穂南(天満屋)「女子マラソンが盛り上がってきた。今後も切磋琢磨(せっさたくま)して、刺激をもらいながらやっていきたい」

1月下旬に右太もも裏を痛め、練習を控えている鈴木亜由子(日本郵政グループ)「けがは順調に回復している。本番はスピード化が予想される。対応できるようにやるべきことをやり、メダルを目指す」

服部勇馬(トヨタ自動車)「先人がいるからこそ今のマラソン界があると分かった。(五輪で)チャンスがあればメダルを狙いにいく」

★男子・中村&大迫、コロナ拡大で欠席

 男子の中村匠吾(富士通)と大迫傑(ナイキ)は、新型コロナウイルス感染拡大を受けて会見を欠席した。中村は所属会社が全社員に対して対策を講じているため参加できず、大迫は個人の判断で決定。中村は日本陸連を通して「代表選手が決定し、いよいよ本番に向け気持ちを新たにしています。オリンピックまで一歩ずつ地道に進んでいこうと思います」とコメントした。

★円谷幸吉の練習ノート

 「昭和37年12月1日」と表紙に書かれたノートの初めには、年度ごとの到達目標が記載。1964年東京五輪の約1年半前だが、すでに「オリンピック選手としての実力の向上維持」という五輪を見据えた目標と思われるメモもあった。練習メニューが毎日記載され、昭和38年3月29日にはジョギング30分、100メートル×10本、持続走2000メートル×5本、森の中で40分間走、ジョギング10分を行っていた。練習メニューの中には球技(ソフトボール)90分というものもあり、さまざまな練習を取り入れていたことが分かる。

★円谷幸吉さんと東京五輪

 円谷さんは1940(昭和15)年5月13日、福島・岩瀬郡須賀川町(現在の須賀川市)で生まれた。62年に第1期生として自衛隊体育学校に入学。初マラソンから約7カ月で64年東京五輪に出場。2位で国立競技場に入り、ゴール直前でヒートリー(英国)に抜かれたものの2時間16分22秒の自己ベストで銅メダルを獲得した。優勝はアベベ・ビキラ(エチオピア)。円谷さんは68年メキシコ五輪を目標に競技を続けたが不振などに悩み、同年1月に27歳の若さで遺書を残して自ら命を絶った。

  • 円谷幸吉メモリアルホールで、円谷さんの写真を背景に東京五輪での快走を誓う日本代表と補欠の選手たち(日本陸連提供)
  • 名古屋ウィメンズマラソン2020で優勝した山麻緒=3月8日、ナゴヤドーム(鳥越瑞絵撮影)
  • 東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉さん=1964年10月21日
  • 円谷幸吉さんの練習ノート(福島・須賀川市所有)
  • 円谷幸吉さんの練習ノート表紙(福島・須賀川市所有)
  • 会見する(左から)小原怜、鈴木亜由子、前田穂南、一山麻緒、松田瑞生=福島県郡山市(撮影・桐原正道)
  • フォトセッションに応じる(左から)小原怜、鈴木亜由子、前田穂南、一山麻緒、松田瑞生=福島県郡山市(撮影・桐原正道)
  • フォトセッションに応じる(前列左から)大塚祥平、服部勇馬、橋本崚(後列左から)小原怜、鈴木亜由子、前田穂南、一山麻緒、松田瑞生=福島県郡山市(撮影・桐原正道)
  • 前田穂南
  • 記者会見するマラソン女子代表の鈴木亜由子=12日、福島県郡山市
  • 会見に臨む服部勇馬=福島県郡山市(撮影・桐原正道)
  • マラソン女子代表を目前で逃して補欠となり、記者会見で涙を流す松田瑞生=12日、福島県郡山市