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鳥内監督、晴れやか退任会見 関学大率い28年間…アメフト部は「自分の人生」

鳥内監督、晴れやか退任会見 関学大率い28年間…アメフト部は「自分の人生」

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晴れやかな表情で会見する鳥内監督。ファイターズは人生そのものだったという

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 甲子園ボウルを12度制覇し、通算197勝38敗3分けという輝かしい実績を残しての勇退も、「負けた年はすべて悔いが残る。特に4年間(甲子園ボウルに)出られなかったとき(02~05年度)」とも。一番つらかったこととして「(03年8月の夏合宿中に)平郡(雷太さん=当時22歳)を(急性心不全で)亡くしたとき」と声を落とした。

 そんな監督人生の信念は「間違ったことは絶対に受け入れない。それだけ」ときっぱり。後任監督を含めた関学大のコーチ陣には「学生の人間的な成長を手伝う。そこは忘れてほしくない」と期待を込めた。

 今後について問われると、「休憩中。何も考えていない」と白紙としたが、昨年、自身が出版した著書「どんな男になんねん」にかけ、「『こんな男になった』という本を出そうかな」とにやり。当意即妙の“鳥内節”は最後まで健在だった。  (月僧正弥)

鳥内 秀晃(とりうち・ひであき)

 1958(昭和33)年11月26日生まれ、61歳。大阪市出身。摂津高時代はサッカー部(FW)で2年時に全国高校選手権出場。関学大でアメフトを始め、DB兼K。4年生時は副将。文学部卒業と同時に米国へコーチ留学。82-84年は南オレゴン州立大、85年はUCLAで研修。86年から母校に守備コーチとして戻り、92年から監督。甲子園ボウル優勝12回、ライスボウル優勝1回。関学大スポーツ文化課所属。父・昭人氏(故人)も元監督で、3人の息子も関学大アメフト部OB。大阪市城東区で製麺業を経営。

  • 関学大で退任会見を終えた鳥内監督。28年間の指揮官生活にピリオドを打った(撮影・宮沢宗士郎)
  • 1992年、伊角前監督(左)からバトン
  • 01年度、ライスボウル制覇
  • 19年度、甲子園ボウル有終V
  • ヘルメットの模型を持ったまま会見場を後にする鳥内秀晃監督=兵庫県西宮市の関西学院大(撮影・宮沢宗士郎)