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鳥内秀晃監督、関学大アメフト部は「人生みたいなもの」

鳥内秀晃監督、関学大アメフト部は「人生みたいなもの」

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アメフト
記者の質問に答える鳥内秀晃監督=兵庫県西宮市の関西学院大(撮影・宮沢宗士郎)

記者の質問に答える鳥内秀晃監督=兵庫県西宮市の関西学院大(撮影・宮沢宗士郎)【拡大】

 関学大アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督(61)が8日、兵庫・西宮市の同大学で退任会見を開いた。1992年から指揮を執り、28年間でライスボウルで1度、甲子園ボウルで12度の優勝を成し遂げたチームを「自分の人生みたいなもの」と振り返り、充実感を漂わせた。一問一答は次の通り。

 --長く指導する中、学生の気質の環境の変化あったと思うが、対応したこと、変えてはいけないことは

 「1986年にアメリカから帰ってきて最初の頃はプレーごとに声を出して教えるやり方。すべて上すら目線。押しつけでやっていた。教えられる、教えていく立場の中の人間教育が一番大事」

 --何を教えるのが一番大事か

 「自分で考える力。学生たちも考えているが、考え方が甘い。言ったことを気づかせてあげる。引き出してあげる。考えを膨らませてあげる」

 --監督生活での悔いの残るシーン、年は

 「負けた年はすべて悔いが残る。特に4年間(甲子園ボウルに)出られなかったとき(02~05年度)」

 --今季を終えて。今の気持ちは

 「正直、ほっとしている。例年なら今は個人面談を始めている時期なので」

 --寂しさは

 「やることはいっぱいあるので」

 --一番、辛かったことは 

 「(03年8月の夏合宿中に)平郡(雷太さん=当時22歳)を亡くしたとき」

 --事故によって指導に変化は

 「変わりました。安全第一に。夏の熱い時期。熱中症対策は大変。選手によって個人差がある。やると危ないなら、やらない方がいいと」

 --一番、うれしかったことは

 「ライスボウルでファイターズはなかなか勝てなかった。やっと勝てたとき」

 --やり残したと思うことは

 「勝つチャンスがあるのに勝たしてあげられなかった試合。今の自分であるなら、もっとうまくできたのになあと」

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