2019.11.8 12:37

【すぐそばに東京五輪(13)】“幻の代表”知る服部勇馬「僕は幸せ」 日の丸背負う喜び胸に

【すぐそばに東京五輪(13)】

“幻の代表”知る服部勇馬「僕は幸せ」 日の丸背負う喜び胸に

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すぐそばに東京五輪
東京五輪マラソン代表の(左から)鈴木亜由子、前田穂南、中村匠吾、服部勇馬

東京五輪マラソン代表の(左から)鈴木亜由子、前田穂南、中村匠吾、服部勇馬【拡大】

 わだかまりはあるだろう。それでも日の丸を背負う選手たちは前を向いている。急転直下で決まった2020年東京五輪のマラソンと競歩の札幌開催。選手はおろか、東京都をはじめとした組織も国際オリンピック委員会の強引な方針転換に従わされた。

 「幻の日の丸戦士」がいる。東西冷戦下の五輪をめぐり、日本はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した米国などとともに、1980年モスクワ五輪をボイコットした。政治に翻弄されて出場の夢を絶たれた選手の一人が、現在は日本陸連でマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを担う瀬古利彦氏だ。

 モスクワ五輪の男子マラソンが行われたとき、瀬古氏はランナーとして伸び盛りの24歳。その後2大会続けて五輪代表となったが、84年ロサンゼルスは14位、88年ソウルは9位にとどまった。

 ロサンゼルスやソウルに比べてモスクワはライバルが少なかったとされ、表彰台も期待されていた。歴史に「もしも」が許されるのなら、瀬古氏の競技生活は変わっていたかもしれない。

 「瀬古さんが代表だったモスクワ五輪のようにボイコットになったわけではないので、僕は幸せです」

 札幌開催決定を受けて、東京五輪男子マラソン代表の服部勇馬は瀬古氏にこう語ったという。39年前とは背景が異なる。ただ、服部も“政治決着”に翻弄された。それでも、五輪代表として走る喜びをかみしめる。けなげな服部の言葉に、瀬古氏は涙したという。

 東洋大時代に師事した酒井俊幸監督の教えで、服部は学生時代からマラソンに関する本を何冊も読んできた。社会人となってトヨタ自動車の寮に入った際、自室に持ち込んだ1冊が「マラソン哲学 日本のレジェンド12人の提言」(講談社)だった。瀬古氏や2000年シドニー五輪女王の高橋尚子さんら、世界と戦った12人のランナーの成功秘話がインタビュー形式でつづられている。

 「信念を持っていたんだと伝わります」。競技の歴史を積極的に学んできたからこそ、札幌開催を前向きに捉えられるのだろう。日の丸を背負う誇りを胸に、服部は脂の乗る26歳で五輪のスタートラインに立つ。(鈴木智紘)