2019.3.9 05:02

アントニオ猪木氏、ザ・デストロイヤーさんの訃報に沈痛「師匠の力道山先生も苦戦」

アントニオ猪木氏、ザ・デストロイヤーさんの訃報に沈痛「師匠の力道山先生も苦戦」

2007年12月、猪木さんが主催したイノキゲノムファイト(IGF)で立会人を務めたデストロイヤーさん

2007年12月、猪木さんが主催したイノキゲノムファイト(IGF)で立会人を務めたデストロイヤーさん【拡大】

 ザ・デストロイヤーさんの訃報に、同時代を生きたプロレスラー、アントニオ猪木参院議員(76)も沈痛な表情を見せた。

 8日、国会内で猪木さんは「私にとっては仲間というより先輩ですけど、旅立たれてしまったのは寂しい」と声を落とし、「プロレスの全盛期でテレビの視聴率もすごかったし、どこの会場も札止めだった」と懐かしげに振り返った。

 猪木さんは、デストロイヤーさんと米国での武者修行時代に何度も対戦した。日本でのシングルマッチは、日本プロレス時代の1969年3月、横浜文化体育館での60分3本勝負が初。デストロイヤーさんが2-1で勝利した。

 プロレスファンの記憶に残る名勝負は71年5月、大阪で行われた「ワールドリーグ 優勝決定戦」(時間無制限1本勝負)の第1試合。猪木さんは足4の字固めを掛けられたままリング下へ落下、両者リングアウトで失格となった。

 猪木さんは第2試合に勝利し優勝した、ジャイアント馬場さんに挑戦を表明。この行動を問題視されたのを端緒に、同年末に日本プロレスを追放された。その後、猪木さんは新日本プロレスを旗揚げ。馬場さんが設立した全日本プロレスに加わったデストロイヤーさんとの交流は薄れたが、「2、3年前に来日した際に食事をしました」と明かした。

 また、猪木さんは文書でのコメントも発表。「身体はそれほど大きくはなかったですが、非常にテクニックがあって、私の師匠である力道山先生もかなり苦戦したことを強く覚えております。私自身も戦う機会がありましたが、体格のハンデを物ともしない努力に裏打ちされた一流レスラーとしてのプライドを感じました」と、デストロイヤーさんの死を悼んだ。

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