2018.11.27 10:00(2/4ページ)

【平成の真実(5)】平成4年7月31日、古賀稔彦バルセロナ五輪「金」

【平成の真実(5)】

平成4年7月31日、古賀稔彦バルセロナ五輪「金」

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平成の真実
吉田(中央)は金メダルを手にしたが、古賀先輩のけがの具合が気になり心の底から喜べなかった

吉田(中央)は金メダルを手にしたが、古賀先輩のけがの具合が気になり心の底から喜べなかった【拡大】

 「ウアッ!!」

 古賀の悲鳴が道場に響いたのは同31日の試合本番11日前だった。左膝を抱えてもだえる古賀の横で吉田が頭を抱えていた。現地入り翌日の初稽古。乱取りで吉田に背負い投げをかけようとした古賀の右足が滑り、左膝関節がひどくひねられた。「手羽先を食べるときに関節をちぎるような感覚だった」と古賀は振り返る。左膝靱帯損傷で3週間の安静が必要との診断。金メダル大本命の欠場を誰もが覚悟した。

 古賀の脳裏に浮かんだのは、重圧に負けて3回戦で敗退した初出場のソウル五輪だった。それから4年。精神的自立が必要と反省し、「問題に自分で対応するよう取り組んできた」。2日ほどたち、痛みが少し和らぐと「絶対に何とかしてやる、という気持ちになった」。

 練習はできないため、試合までほとんど飲まず食わずで約5キロを減量した。一方、吉田は責任を強く感じていた。中学からの先輩で、憧れの存在の古賀にけがをさせたと動揺し、当初は練習も手につかなかった。

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  • 左膝にアイシングをしながら、神妙な表情の古賀(手前)。憧れの先輩がけがに見舞われ、吉田(奥)の頭は真っ白になった
  • 1992年バルセロナ五輪・柔道日本代表の成績
  • 1992年バルセロナ五輪・古賀稔彦の試合内容
  • 古賀と吉田の比較