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【サンスポ×日体大】森田淳悟氏、独創性&鉄の意志/バレー

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森田淳悟氏、独創性&鉄の意志/バレー

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バレーボール・東京五輪までの主な国際大会

バレーボール・東京五輪までの主な国際大会【拡大】

 ミュンヘン五輪後、日本が世界で地位を下げていく中、世界選手権、W杯、五輪の三大大会を2002年から5大会連続で制するなど一時代を築いたのがブラジルだ。独自の高速コンビバレーを演じ、高さで上回るロシアや米国を手玉に取った。「当時、海外の関係者から『なぜ日本はミュンヘンのようなコンビをしないのか』と聞かれた。今や戦法的には出尽くしたといわれているが、まだまだできることはある」

 重要なのは努力をいとわない強い意志。「松平さんの言葉で強烈に残っているのは『金メダルを取りたいな、では取れない。絶対に取るんだという気持ちでないと練習にも魂が入らない』だ」。勝利のためにすべてをささげることこそ、勝つための条件と訴える。

★ミュンヘン五輪金メダルVTR

 1964年東京五輪での銅メダル獲得後、監督に就いた松平康隆は8年後の金メダル獲得を目標に強化。1メートル93あった森田や大古、横田ら若手大型選手が天才セッター猫田の指揮で縦横無尽のコンビバレーを展開し、68年メキシコ五輪で銀、70年世界選手権で銅を獲得した。

 72年ミュンヘン五輪では順調に勝ち進んだが、9月8日の準決勝、ブルガリア戦は2セットを先取され、第3セットもリードされる大苦戦。ここで東京五輪代表のベテラン南、中村らが途中出場で活躍、流れを奪ってフルセット勝ちした。9日の決勝、東ドイツ戦は3-1で勝利。悲願の金メダルを獲得した。

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  • 1972年9月3日、ミュンヘン五輪1次リーグのブラジル戦で速攻を放つ森田氏(中央)。相手のブロックはスピードについていけなかった(森田淳悟氏提供)
  • 現役時代の背番号8のユニホームを手にする森田氏。お家芸復活を期待した(撮影・只木信昭)
  • 森田淳悟氏のサーブ
  • バレーボール・1972年ミュンヘン五輪男子日本代表