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【二十歳のころ 清水久詞(1)】小学生から騎手目指すも…2度挫折し調教師の道へ

【二十歳のころ 清水久詞(1)】

小学生から騎手目指すも…2度挫折し調教師の道へ

特集:
二十歳のころ

 子供のころは騎手になるのが夢でした。大阪で建築業などを営んでいた父の貞光は、僕が生まれた1972年にはすでに競走馬の馬主で、所有馬には「カルストン」という名前を付けて走らせていました。由来は軽石です。父の会社が扱っていた軽石は当時、北海道でしか採掘できない特殊なもので、軽くて燃えにくいという特長を持っており、建築にはとても重要なものだったんです。

 競馬に縁が深い環境でしたから「ジョッキーになる」が口癖。僕は覚えていないのですが、幼稚園のとき、七夕の短冊には「騎手になりたい」と書いたそうです。競馬を見に行くのも大好きで、小さいころに小倉競馬場で撮った写真は、今でも家に飾ってあります。

 男、女…の順で、8人きょうだいの5番目。不思議なことに競馬に携わったのは僕だけです。次男は中央競馬と地方競馬の区別もつかないくらいですから。弟は獣医師をしていますけれど、馬には乗りません。父によく言われましたよ、「おまえの影響がなければ、(弟は)医者になっとった」。僕のせいにされてもね…。僕にとっては、父がよくぞ馬主であってくれた、という思い。他の家庭なら、これほど馬が好きな自分に気づかず大人になっていたかもしれません。

 小5からの2年間は、大阪市内の自宅から自転車で30分くらいの乗馬クラブに通いました。中学は部活動をしなければならず、陸上部で長距離を走りました。それも、痩せるためです。騎手は減量がついて回るので。

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