2017.11.30 05:05(7/7ページ)

日馬富士が引責引退…横綱の地位も親方になる道もすべて捨てた

日馬富士が引責引退…横綱の地位も親方になる道もすべて捨てた

特集:
日馬富士・暴行問題
会見を終えた日馬富士=福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)

会見を終えた日馬富士=福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)【拡大】

★苦情と同情

 関係者によると、引退が発表される前日まで日本相撲協会の代表電話は「なんで辞めさせないんだ」「暴力を振るった横綱が悪い」など多くの苦情でつながらない状況だった、という。ところが、日馬富士の引退会見から電話が鳴りやみ、「どうして辞めさせるのか」「かわいそう」など同情の声に一転。とくに、女性の意見が多かったそうだ。

★戦後の横綱の不祥事による引退

 ◆前田山(第39代) 途中休場した昭和24年秋場所中に日米野球を観戦していたことが発覚。責任を取って自ら引退した。

 ◆双羽黒(第60代) 昭和62年、師匠に生活態度を注意されたことから口論となり、おかみさんや後援会関係者にも暴行して部屋を脱走、廃業に追い込まれた。

 ◆朝青龍(第68代) 平成22年の初場所中に泥酔し、一般人男性を脅しながら暴行。被害男性が警察に助けを求め、朝青龍は10人の警察官に囲まれた。警察と協会に事情聴取され、責任を取る形で引退した。

日馬富士という男

 ★生年月日  昭和59 (1984)年4月14日、モンゴル・ウランバートル生まれ、33歳。尊敬する父の故郷・ゴビアルタイを出身地としている。
 ★戦歴 「少年の時には柔道やモンゴル相撲を経験。平成13年初場所で「安馬(あま)」のしこ名で初土俵を踏んだ。新弟子検査時に1メートル80、86キロの細身だったが猛稽古を重ね、抜群のスピードで順調に出世した。21年初場所に新大関となり改名。24年秋場所後に横綱に昇進した。優勝は9回だった。
 ★モットー 「全身全霊」がモットーで、闘争心あふれる取り口。
 ★趣味 油絵が得意で色彩豊かな富士山を描いては心を落ち着かせた。27年末には東京・銀座の画廊で展示会を開くほどの腕前。
 ★社会貢献活動 18年末に父親を交通事故で亡くした。その際に装備が整った緊急車両がすぐに来なかったといい、その後に救急車を母国に寄贈した。戦争の悲惨さを伝えるためにモンゴルの子供たちを広島市に招待したこともある。
 ★勉強熱心 26年には法大大学院に入学し、引退後を見据えて地域発展について学んだ。「経世済民」の考えに共感し福沢諭吉やパナソニック創業者の松下幸之助を尊敬。
 ★性格 周囲には短気な性格を指摘する声もある。稽古場では、あいさつが聞こえなかった弟弟子の額をすぐにたたく場面が見受けられた。
 ★家族 モンゴルから日本に留学中だった女性と22年に結婚し、1男2女に恵まれた。

  • 現役を引退し、会見する日馬富士。反省の言葉を口にした(撮影・澤野貴信)
  • 引退会見冒頭で頭を下げる日馬富士(右)。伊勢ケ浜親方は涙ぐんだ(撮影・仲道裕司)
  • 【戦後の横綱の不祥事による引退】双羽黒
  • 【戦後の横綱の不祥事による引退】朝青龍(第68代)
  • 会見で頭を下げる日馬富士=福岡県太宰府市(撮影・沢野貴信)
  • 会見する日馬富士(右)と伊勢ケ浜親方=福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)
  • 会見する日馬富士(右)と伊勢ケ浜親方(左)=29日、福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)
  • 会見する日馬富士=29日、福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)
  • 会見する日馬富士=29日、福岡県太宰府市の太宰府天満宮(撮影・門井聡)
  • 引退記者会見で謝罪し、頭を下げる横綱日馬富士関。奥は伊勢ケ浜親方=29日午後2時8分、福岡県太宰府市
  • 引退の記者会見をする横綱日馬富士=29日午後2時10分、福岡県太宰府市