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【二十歳のころ 井上康生(3)】「お兄ちゃん」から「敵」に…勝負師として開花

【二十歳のころ 井上康生(3)】

「お兄ちゃん」から「敵」に…勝負師として開花

特集:
二十歳のころ
2004年、全日本選抜体重別選手権の男子100キロ級決勝で兄の智和さん(左)を大内刈りで破り優勝した井上。同じ柔道家として兄にも認められていた

2004年、全日本選抜体重別選手権の男子100キロ級決勝で兄の智和さん(左)を大内刈りで破り優勝した井上。同じ柔道家として兄にも認められていた【拡大】

 以降、直接対決は2回あったけど、いずれも一本で勝った。「お兄ちゃん」ではない。井上智和という「敵」を倒す。そんな勝負師としての姿を兄はたたえてくれて、次第にサポートの立場に回ってくれる機会が増えた。

 1999年の世界選手権(英国・バーミンガム)も、シドニー五輪も、練習パートナーという形で優勝を支えてもらった。今も恩義に感じている。誰だって、ライバルにそんな協力をしたくはないだろう。決して、兄弟だからという理由に限らない。柔道家として評価してくれていたのだと思う。国際舞台でも勝てるようになった当時、兄に掛けられた言葉を覚えている。

 「自分がここに立っていればという思いもあるけど、快くサポートできるのは俺がお前を認めているからだ。康生の柔道に対する思いには勝てない。間違いなくお前が上だ」

 シドニー五輪で金メダルを取り、前年の99年に他界した母(かず子さん)の遺影を表彰台で掲げたシーンを覚えている方は多いのかもしれない。実は、アシストしてくれたのが兄だった。観客席で見守った父(明さん)から遺影をもらってきて、表彰式前の控室まで届けてくれた。日の丸が上がる様子を眺めながら母と国歌を聴いた時間は、言葉で言い表せない瞬間だった。

 今は男子日本代表の監督として選手のメダル獲得を後押しする立場にある。名門の東海大で過ごした日々が、指導のルーツになっている。 (あすに続く)