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【二十歳のころ 室伏広治(3)】ハンマー投げへの思い強まったボブスレー挑戦

【二十歳のころ 室伏広治(3)】

ハンマー投げへの思い強まったボブスレー挑戦

特集:
二十歳のころ

 ボブスレーの将来を考えたりもしたね。日本の、ものづくりの技術を持ってすれば、さらに高性能なランナー(そりの下部に位置し、氷に接する刃の部分)ができるだろうに、どうして競技者と製作サイドがもっと協力しないのだろう、なんてね。連携が深まれば、さらにいい記録が生まれるんじゃないかと思っていたよ。

 確かに、長野五輪に出られるかもしれないと思ったし、面白い競技ではあった。でも、僕はハンマー投げで世界と戦う選手だ。95年のスウェーデン・イエーテボリでの世界選手権には出られたけど、予選で敗退。96年のアトランタ五輪には出場すらできなかった。

 これから世界に出ていこうという時期だった。一日の練習も無駄にしてはいけないし、一日の休養も逃してはならない。二足のわらじで本業の練習に支障がでて、2000年のシドニー五輪に響いたら、言い訳はできない。少しは悩んだけど、やっぱり辞退したよ。だけど、実はいまだにボブスレーを応援している。

 振り返れば、ハンマー投げに打ち込むという、あのときの決断は大事だったと思う。父(重信、ハンマー投げ前日本記録保持者で1972年ミュンヘン大会など五輪に3度出場)の75メートル96の日本記録を塗り替えたのは、98年の4月(群馬リレーカーニバルで76メートル65をマーク)。23歳のときで、くしくも長野五輪の2カ月後の出来事だった。ボブスレーを続けていたら、あの1投はなかったかもしれない。 (あすに続く)