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【二十歳のころ 室伏広治(2)】父の教えが“鉄人2世”誕生のきっかけ

【二十歳のころ 室伏広治(2)】

父の教えが“鉄人2世”誕生のきっかけ

特集:
二十歳のころ
室伏広治氏

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 夏休みに入れば帰郷し、父が監督を務めた中京大でトレーニングに励んだ。1年生の夏は、高校生レベルでは習得の難しい4回転の投法を繰り返し練習した。父はよくビデオを回して、映像で示しながらアドバイスをくれた。繰り返し見ることで感覚と実際の動きの違いに気付く。研究心を持ちなさいという、父なりのメッセージだったように思う。

 こうしたやりとりは現役の晩年まで続いて、海外を拠点にしていてもパソコンで映像を送っては父にチェックしてもらっていた。競技をはじめたころは、よく一流選手の映像と比較するように教えられたし、反対にうまくない選手の投げ方は見るなといわれたよ。高校時代の同級生の応援では一人、競技場に背を向けて仲間の投擲(とうてき)を見るのを控えたこともあった。

 成果はすぐに表れた。高校1年の秋、6月の南関東大会で約46メートルだった記録が11メートルも伸びて57メートル82になった。「なるほど、そういうことか」と、あのときの父の言葉に納得できたね。父は、息子がインターハイに出られないなんて、そんなちっぽけな話はどうでもいいと思っていたんだろう。付け焼き刃のトレーニングで全国規模の大会に出場できても、先はない。今思えば、その考えはよく理解できる。

 そんな父が樹立した75メートル96の日本記録を、1998年に23歳で塗り替えることになる。ある出来事をきっかけにハンマー投げに向き合う姿勢を見つめ直した経験が、記録の更新へと結びついたんだ。 (あすに続く)