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【私の失敗(2)】寺川綾、手の震え止まらず…気持ちが切れていたアテネ五輪後

【私の失敗(2)】

寺川綾、手の震え止まらず…気持ちが切れていたアテネ五輪後

特集:
私の失敗
寺川さんは2004年アテネ五輪後に、競技に対しての気持ちが切れたことを打ち明けた (撮影・春名中)

寺川さんは2004年アテネ五輪後に、競技に対しての気持ちが切れたことを打ち明けた (撮影・春名中)【拡大】

 2004年のアテネ五輪が終わると、張り詰めていた気持ちがぷっつりと切れた。「私は本当に水泳が好きなんだろうか」。五輪を経験して、そう感じた。

 近大2年、19歳で出場した初めての五輪。屋外プールで、高校総体みたいな雰囲気だった。準決勝ぐらいまでは何とも思わなかったのに、決勝になるとムードはガラッと変わった。200メートル背泳ぎの決勝で、手が突然、震えだした。スタートするときも手が震えていたのを覚えている。200メートルをどう泳ぎ切ったすら覚えていない。結果は8位。とにかく泳ぎ切ったというのがアテネ五輪だった。

 帰国後、周りの人からは「次の北京五輪でメダルを目指すんだよね?」と何度も言われた。だが、自分の中で「メダルを絶対に取りたい」とは思えなかった。自分の想像以上に周囲の期待の方が大きかった。応えないといけないと、頑張ってきたが、「私の水泳ってこんなものではない」と感じていた。期待に応えるのが苦しくなった。

 「このままいつもと同じように過ごしていたら駄目になる」。05年4月、練習拠点を米ロサンゼルス郊外のスイミングクラブに移した。現地で驚いたことは、米国では頑張るか頑張らないかは自分次第だということ。日本では全部コーチがやってくれて、何でも与えてくれる。自分はただ泳ぐだけでいい環境だったけど、米国の選手は違う。練習メニューを理解して、そこからは自分自身との戦いという感じだった。

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  • 近大2年の寺川は2004年アテネ五輪200メートル女子背泳ぎで8位に終わった