2015.8.12 11:00

【私の失敗(2)】大林素子、化けもの扱い…自殺しようとまで思い詰めた(2/2ページ)

特集:
私の失敗
幼稚園の頃の大林さん。右隣の子供と比べるとすでに大きいことが分かる

幼稚園の頃の大林さん。右隣の子供と比べるとすでに大きいことが分かる【拡大】

 <1968年1月から70年12月まで『週刊マーガレット』(集英社)で連載された女子バレーボールを題材とした漫画。69年から71年までフジテレビ系でアニメ化された>

 私の最大のコンプレックスだった身長の高さが、バレーでは武器になる。主人公・鮎原こずえが目指すのは五輪。「バレーで一番すごい舞台は五輪。そこに出れば、いじめっ子たちを見返せる」。29歳で引退するまで、どんなに苦しくても続けられたのは、またいじめられるのが嫌だったからです。

 1988年、21歳で初めて五輪出場が決まりました。すると一般公開されていた日立の練習を、あのいじめっ子たちも見学に来たのです。私は「またいじめられる。『五輪なんか出たって、どうせメダルなんて取れねえよ』とか暴言を吐かれる」と思い、知らない顔をしようとしました。そうしたら「大林、サインくれよ」と声をかけられたんです。私は「勝ったな」と思いつつ、それくらいで傷ついた心は癒えないので、いったんは断ったんですが…。

 後日、再会したときに「子供の頃は本当に嫌だったんだよ」と、積年の恨みを伝えました。言う方は軽い気持ちでも、どれだけ嫌かは言われる方にしか分からない。そんなことを話して和解しました。その後は後援会に彼らも“強制参加”。今では家業を継いで社長になるなど活躍している彼らから講演会を依頼されることもあり、仕事で助かっています。

(紙面から)

  • 八王子実践高の1年生エースだった大林さんを紹介する1984年3月24日付のサンケイスポーツ。身長は16歳で1メートル82だった