2014.5.23 05:00

【さよなら国立競技場(5)】東京五輪「やっとたどりついた」42・195キロ(2/2ページ)

1964年の東京五輪マラソンで8位でゴールした君原

1964年の東京五輪マラソンで8位でゴールした君原【拡大】

 円谷(幸吉)さんが出場した14日の1万メートルはスタンドの選手席で観戦しました。大歓声でしたが、あまり意識はしませんでした。

 21日のマラソン当日は「この日のために調整をしてきたんだから、冷静に、力を精いっぱい発揮するんだ」と考えていましたが、やはりアガっていたんでしょう。競技場に戻ってきたときは、「やっとたどり着いた」という思いでした。8位でしたが、「それも自分の力のうち」と大歓声を受けてゴールしました。

 選手収容所で、円谷さんが簡易ベッドに横たわっているのが目に入りました。表情が悲しげに感じ、棄権したのかなと思って声はかけませんでした。3位だと知ったのは後になってからです。

 東京五輪は、私の競技者生活で最も誇れる大会だったと思っています。最近でも国立競技場を訪れるたび、いろんな思い出がよみがえってきて、そのたびに感動します。

★1964年10月21日

 東京五輪・マラソン 円谷幸吉が、残り200メートルで抜かれながらも3位でゴール。日本陸上に戦後初の五輪メダルをもたらし、主会場の国立に日の丸を掲げた。君原は8位、寺沢徹は15位だった。優勝はアベベ(エチオピア)だった。君原は4年後のメキシコ五輪で、戦後の日本の陸上選手で最高(当時)の銀メダルを獲得する。

君原 健二(きみはら・けんじ)

 1941(昭和16)年3月20日生まれ、73歳。福岡・北九州市出身。福岡・戸畑中央高(現・ひびき高)-八幡製鉄(現・新日鉄住金)。62年12月の初マラソンで3位。64年4月の日本選手権を制して東京五輪代表に。東京五輪は8位。66年にボストン優勝。68年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。72年ミュンヘン五輪は5位。74年3月、現役引退。マラソン出場35回で優勝13、棄権0、自己最高記録は2時間13分25秒8。91年に退職し、九州女子短大教授、北九州市立大特任教授を歴任。

(紙面から)