森田淳悟氏、独創性&鉄の意志/バレー

サンスポ×日体大
1972年9月3日、ミュンヘン五輪1次リーグのブラジル戦で速攻を放つ森田氏(中央)。相手のブロックはスピードについていけなかった(森田淳悟氏提供)

 2020年東京五輪開幕まで、16日で800日。出身大学別最多の夏季五輪メダリスト62人を輩出している日体大とコラボレーションした長期連載の第7回は、バレーボールを特集する。1972年のミュンヘン五輪男子バレーボールで金メダルを獲得した日体大OBの森田淳悟氏(70)が、日本の“お家芸”の復活へ、熱く厳しく提言。自身が日体大の学生時代に考案した一人時間差を振り返って、創意工夫の重要性とともに、金メダル獲得への強い意志が必要と訴えた。 (取材構成・只木信昭)

 「東京五輪」とバレーは切っても切り離せない関係だ。競技が初採用された1964年大会では“東洋の魔女”の優勝に国中が熱狂。銅メダルの男子は陰に隠れた屈辱を晴らそうと、松平康隆監督が8年計画で強化に努め、72年ミュンヘン五輪で金メダルを手にした。

 再びめぐり来る東京五輪で、バレー界の目標はビーチと合わせてメダル4つだが、森田氏は現実を見つめる。

 「本来なら今頃は世界に通用する選手がいて、『日本は手ごわいぞ』と相手に思わせていなければ。(2012年の)ロンドン五輪で女子はエースの木村沙織、セッター竹下佳江、リベロ佐野優子と世界レベルの選手が3人いて銅メダルを取れたが…」。今は男女とも“人材不足”だ。

 選手が世界に通用する存在になるには、「起きてから寝るまで、いかにプレーのことを考えて生活しているかだ」。常にバレーのことを考えることで独創性も生まれる。

 銀メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪後、松平監督は選手たちに「どんなばかげたアイデアでもいい。一人ひとつ、新しい戦法を考えよう」と指示した。考え続けて悩んでいた11月のある日、日体大の東京・深沢キャンパス(現東京・世田谷キャンパス)体育館での練習でセッターが速攻のトスを上げるタイミングを間違えた。一瞬跳び損ねた森田氏が、まだ空中にある球を打とうと遅れて跳ぶと、先に跳んだブロッカーは降りていた。

 「これ、面白いな」。ここから、後に「移動攻撃」と呼ばれるパターンを含む6種類ほどを20分程度で考え出したという。後日、松平監督に披露すると「一人時間差」と命名された。

 今季の男子登録選手の平均身長をみると、強豪はロシアの2メートルを筆頭に1メートル98~99。対して日本は1メートル89。高さで世界に及ばないのは昔からだ。しかし“東洋の魔女”や“松平一家”は回転レシーブや時間差攻撃など新技や新戦法を開発し、猛練習でコンビバレーを磨き上げて頂点に立った。

 「今でも(独自の戦法を)考えている選手はいるだろう。そこに指導者がどういうアドバイスをするか」と森田氏。独創性を生かし、世界で勝てるチームを作る条件に(1)選手がうまくなり、チームが強くなるにはどうすればいいかを分かっている監督(2)その指導の下、遠慮なく練習できる環境(3)いい仲間-を挙げる。

 ミュンヘン五輪後、日本が世界で地位を下げていく中、世界選手権、W杯、五輪の三大大会を2002年から5大会連続で制するなど一時代を築いたのがブラジルだ。独自の高速コンビバレーを演じ、高さで上回るロシアや米国を手玉に取った。「当時、海外の関係者から『なぜ日本はミュンヘンのようなコンビをしないのか』と聞かれた。今や戦法的には出尽くしたといわれているが、まだまだできることはある」

 重要なのは努力をいとわない強い意志。「松平さんの言葉で強烈に残っているのは『金メダルを取りたいな、では取れない。絶対に取るんだという気持ちでないと練習にも魂が入らない』だ」。勝利のためにすべてをささげることこそ、勝つための条件と訴える。

★ミュンヘン五輪金メダルVTR

 1964年東京五輪での銅メダル獲得後、監督に就いた松平康隆は8年後の金メダル獲得を目標に強化。1メートル93あった森田や大古、横田ら若手大型選手が天才セッター猫田の指揮で縦横無尽のコンビバレーを展開し、68年メキシコ五輪で銀、70年世界選手権で銅を獲得した。

 72年ミュンヘン五輪では順調に勝ち進んだが、9月8日の準決勝、ブルガリア戦は2セットを先取され、第3セットもリードされる大苦戦。ここで東京五輪代表のベテラン南、中村らが途中出場で活躍、流れを奪ってフルセット勝ちした。9日の決勝、東ドイツ戦は3-1で勝利。悲願の金メダルを獲得した。

★男女日本代表の現状

 2016年リオデジャネイロ五輪で日本は女子が5位、男子は2大会連続で出場を逃した。同年10月に男子・中垣内祐一、女子・中田久美の両監督が就任。初年度の17年に女子はアジア選手権を制し、ワールドグランプリではブラジルやロシアに勝ったが、大陸王者らが集まる秋のワールドグランドチャンピオンズ杯(グラチャン)は5位に。現在の世界ランクは6位。

 男子もアジア選手権を制し、ワールドリーグ2部準優勝など好調だったが、グラチャンは最下位の6位に終わった。現在の世界ランクは12位。

森田 淳悟(もりた・じゅんご)

 1947(昭和22)年8月9日生まれ、70歳。北海道北見市出身。東京・日大鶴ケ丘高-日体大-日本鋼管。高校でバレーを始め、大学1年で全日本デビュー。68年メキシコ五輪銀メダル、72年ミュンヘン五輪金メダル。“ミスターバレーボール”と呼ばれる。引退後の81年に日体大のコーチに就任し、同大の監督や日本協会強化事業本部長などを歴任。2003年、バレーボール殿堂入り。18年3月で日体大教授を勇退。日体大オリンピアンズクラブ会長。

松平康隆

 1964年東京五輪で男子のコーチを務め、翌年から監督。大きくて運動能力の高い若手を厳しいトレーニングで鍛え、独創的なコンビバレーで強化した。72年ミュンヘン五輪で、日本の男子団体球技唯一の金メダル。選手を取り上げたアニメ「ミュンヘンへの道」制作や若い女性をターゲットにした少女雑誌での展開など、PRにたけたアイデアマンでもあった。後に日本協会専務理事、会長、国際連盟副会長などを歴任。2011年12月31日、81歳で死去。

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