2021.4.1 01:32

中田英寿氏が振り返るスクデットを懸けたユベントス戦「自分が出場するとは…」

中田英寿氏が振り返るスクデットを懸けたユベントス戦「自分が出場するとは…」

中田英寿氏が振り返るスクデットを懸けたユベントス戦「自分が出場するとは…」

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 元日本代表MFの中田英寿氏が、27日付のイタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』のインタビューに応じ、2001年のスクデット獲得を左右したユベントス戦などについて語った。

 中田氏はかつて、日本人選手の海外組先駆者としてセリエAに渡り、ペルージャやパルマなどで活躍。2000年冬に加入したローマでは、フランチェスコ・トッティとポジション争いを演じたほか、翌シーズンにはユベントス戦(2-2)でスクデットを呼び込むゴールを決め、日本人初となるセリエA制覇を成し遂げた。

 セリエAでは当時、ベンチ入り可能なEU圏外出身選手枠を最大3名までと規定。しかしスクデットを左右するユベントス戦の直前、イタリアサッカー連盟(FIGC)が規制を緩和したため、中田氏のベンチ入りが急遽、決まった。中田氏は当時をこう振り返った。

 「EU圏外出身選手に関する規定があるため、私は前日まで、スタンドへ行くことになっていたのです。仮にチャンスがあったとしても、自分が出場するとは思っていませんでした。トッティがプレーしていましたし、私の出番があるとしたら、負けている場合に限られます。ベンチからは、(アレッシオ)タッキナルディがプレーのたびに後ろへ下がっているのが見えていたので、私は彼を狙いました。そして右足でシュートを放つと、ゴールが決まったのです」

■イタリアは第2の故郷

 また、中田氏はペルージャ時代から7年間にわたって過ごしたイタリアや、サッカーに対する思いも明かした。

 「私にとって第2の故郷です。時間の感覚が違うので、慣れるまでに少々、時間を要しました。例えば約束が12時だとしたら、みんな12時半頃に集合します。私はすっかりイタリア人になってしまい、日本へ帰ってきてからは、いつも遅刻してしまって大変でした」

 「サッカーとは、私にとってまるで弟のような存在でした。サッカーのおかげで、世界中を巡り、多くの友人たちと出会うことができました。イタリアで過ごした7年間がなければ、おそらく今の自分はなかったでしょう。情熱をもってプレーしていましたが、環境が変わったことで引退に至りました。小学校の校庭でゴールを目指して走り回っていた頃から、サッカー選手になることを夢見ていましたが、その夢は叶いました。これから新たな旅が始まります」(Goal.com)