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【サッカーコラム】キリンと歩んだ日本代表の40年 1978年からサポート

【サッカーコラム】

キリンと歩んだ日本代表の40年 1978年からサポート

特集:
森保JAPAN
No Ball, No Life
練習に臨む日本代表・森保一監督=パナソニックスタジアム吹田(撮影・甘利慈)

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 記憶に残っているもっとも古い試合は、86年の日本代表-ブレーメン(国立競技場)だ。奥寺康彦の凱旋試合で、大雨の中、スタンドでずぶ濡れになったので強く印象に残っている。また当時はテレビ東京で放送していたダイヤモンドサッカーを通じてブレーメンに詳しくなっていて、「メールマン!」「ノイバート!」などと心の中で叫びながら見ていた。

 バティストゥータ、カニーヒアが来日した92年の日本代表-アルゼンチン代表(国立競技場)も印象に残っている。バティストゥータに1点を許して敗れたのだが、当時はまだ日本代表に詳しくなく、選手の情報を知り尽くしていなかった。そのため、スタンドに向けられた両チームメンバーの板書き(当時はメインスタンド、バックスタンドに向けてメンバーの名前が掲げられていた)にある「森保一」という名前が読めなかった。後に知った情報として、現日本代表監督の代表初キャップとなったのがこの一戦で、筆者が同氏の存在を認識した試合でもあった。

 94年の日本代表-フランス代表(国立競技場)からは記者として取材している。このときのフランスはアメリカW杯の出場権を逃しておりカントナ、パパン、デサイー、ジョルカエフなどベストメンバーが揃っていた。“ドーハの悲劇”によって同じくW杯出場を逃した日本代表は、ファルカン監督のもと前園真聖、岩本輝雄、小倉隆史といった若手が招集されていた。結果は1-4で敗れたが、小倉隆史が素早い動きで奪った1点に満員のお客さんが沸いたのを覚えている。

 数年前に「日本代表のベストゲームをあげてください」という依頼がきたときには、96年の日本代表-メキシコ代表(博多の森)をピックアップした。前半の早い時間帯に2点を許したが、その後に3点を奪って逆転勝利を収めた一戦で、このときの日本代表は連動性があり、攻守の切り替えも早かった。片時も目を離せず、試合にのめり込むことができた。

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