2017.11.10 10:00(2/4ページ)

【賀川浩 W杯の旅】衝撃!クライフに未来を見た

【賀川浩 W杯の旅】

衝撃!クライフに未来を見た

特集:
賀川浩 W杯の旅
賀川氏が原稿を書いた1974年7月9日付、サッカーW杯決勝西ドイツ-オランダサンスポ紙面

賀川氏が原稿を書いた1974年7月9日付、サッカーW杯決勝西ドイツ-オランダサンスポ紙面【拡大】

 2次リーグ、雨のゲルゼンキルヘンでの東ドイツとの試合では徹底的にマンマークされた。スパイクのひもがほどけ、いったんピッチ外に出て結び直す間も、マーク役の選手がそばに張り付いていたほど。ハーフタイムにトイレにいったら、さすがに“フリー”で「ここまではついてこないか」と苦笑したという逸話も残っている。

 ピッチを俯瞰する能力にたけたクライフは少年期に野球にも興じていた。オランダは欧州で最も野球が普及しており、ポジションは捕手だったという。チーム全体の守りの舵取りをし、チーム全体に目を配ることに通じたのだろう。

 W杯には出たのは74年の1大会だけだったが、鮮烈な印象を残したクライフにインタビューすることができたのは、1980年、神戸のオリエンタルホテルだった。当時所属していたNASL(北米サッカーリーグ)のワシントン・ディプロマッツが来日。スポンサー筋から交渉し、実現した。高額なギャラを要求するという噂もあったが、まったくそういったことはなく、飾らない人柄、サッカー好きの青年そのままの話しぶりに、惹きつけられた。

 80年欧州選手権の取材の帰りに米国に寄り、ディプロマッツでのプレーを見た。両足で長短自在にパスを操る彼だが、右太ももを痛めていたようで、プレーは左足だけだった。左で止め、奪いに来る相手をターンでかわし、左でパスを出していた。そのことを質問したら「ミスターカガワ、両足でプレーできるといいことがあるでしょう。若いうちは練習すれば、どんどん技は伸びますから。正しくボールを蹴れなかったら、いいパスやシュートはできません。常に技術を伸ばすように努力を重ねましょう」と笑った。小さいころからの鍛錬が、ボールをきちんと操る技術の土台になることを改めて教えてくれた。

 「私はボールを受けたとき、常に3つはパスコースを持っていた」とも話していた。紙の上に仲間の動きとパスコースを描きながら「どれだけ速く走るかよりも、いつ走るかがサッカーでは、いつが大事なんですヨ」と強く説いた。話は弾み、予定の時間はずいぶんオーバー。「クライフがそんなにしゃべったのか。大変なことだ」と翌日彼のマネジャーに驚かれた。

 クライフがもたらしたトータルサッカーは、のちにプレッシング・フットボールとも呼ばれた。ハーフラインあたりで相手ボールを囲み込んで奪い、奪うとすぐに攻勢に出る。FWだけが攻めるのでなく、MFもサイドバックもどんどん追い越して前方へ攻めるというやり方だった。70年のメキシコW杯をブラジルが制したように、それまでのサッカーは、ゆったりとした試合運びの中で、ペレら卓越したテクニックを持つ選手が君臨していた。クライフとオランダ代表の登場で、スペースが徐々に減っていった。現在、日本でも世界でも行われている、いそがしいサッカーの原型となった。

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  • 賀川浩氏
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