【ベテラン記者コラム(108)】高橋大輔、バレンタインは“運命”の日 - SANSPO.COM(サンスポ)

【ベテラン記者コラム(108)】高橋大輔、バレンタインは“運命”の日

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 両手を広げ、完全燃焼の笑顔が弾けた。2014年ソチ五輪フィギュアスケート男子フリー、感情たっぷりに『ビートルズ・メドレー』を演じ切った高橋大輔は、3度目の大舞台をかみしめるように「ありがとうございました」とつぶやくと、リンクを後にした。

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 「『(銅メダルの)バンクーバー(五輪)でやめた方がよかった』と思う人がいるかもしれないけど続けてよかった」

 13年11月に右膝を痛めた影響は大きく、ショートプログラム(SP)の4位から順位を落とし2大会連続の表彰台には立てなかったが、日本の第一人者として足跡を刻み込んだ。

 2月14日は“運命”の日だった。高橋が幼稚園のときから小学校卒業までつけていた日記を母・清登さんが見返すと、小学2年のバレンタインデーにスケート靴を初めて履き、スケートを始めたと書いてあった。初出場のトリノ五輪のSPが行われたのも2月14日。あれから8年、集大成と位置づけた大会も記念日で締めくくられた。

 ロシアは忘れられない地だった。11年4月、東日本大震災の影響で東京からモスクワへ舞台を移した世界選手権。スケート靴のトラブルもあって5位で2連覇を逃した後、ソチまでの現役続行を宣言した。18歳の夏に長光歌子コーチと訪れ、「もう戻りたくない」と嘆いた劣悪なモスクワの練習拠点をあえて訪ね、3年後の五輪まで戦い続ける覚悟を新たにした。

 手が届かなかった金メダルは、羽生結弦が勝ち取った。「彼が日本を背負っていく」。頼れる後輩にバトンタッチした日本のエースは、20年もの長い挑戦を終え一旦、重い荷を下ろした。

 18年7月に5シーズンぶりに復帰すると、高い表現力と情熱的なステップで同12月の全日本選手権で2位に入った。しかし、4回転ジャンプが当たり前になった時代に技術面では苦戦。20年1月にアイスダンスに転向し、平昌五輪アイスダンス代表の村元哉中とコンビを組む異例の決断を下した。

 アイスダンスは靴のエッジは短く、ジャンプもない。それでも名コーチのマリナ・ズエワ氏ら、数人が役割分担して指導する米国の充実した練習環境で急成長を遂げた。一日に4度も食事し、プロテインも摂取。村元を持ち上げるリフトなどパワーが必要な種目で肉体改造に着手した。

 男女シングルでトップレベルの日本だが、アイスダンスは五輪入賞さえない。団体の種目でもあり、強化は急務。高橋の転向で、練習環境に恵まれず人気も低かった種目に光が差した。35歳で迎える22年北京五輪、ベテランスケーターが8年ぶりの夢舞台を目指す。(江坂勇始)

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