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【サッカーコラム】日本サッカーに精通し、慧眼の持ち主だったエディ・トムソン

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 【No Ball,No Life】7日(水)にACLグループステージ第3節が開催され、Jリーグの2チームがどちらも豪州勢と対戦した。川崎フロンターレはホームでメルボルン・ビクトリーに2-2で引分け、鹿島アントラーズはアウェーでシドニーFCに2-0で勝利している。

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 現在、メルボルン・ビクトリーの監督を務めるのはケヴィン・マスカットで、この名前に聞き覚えがあるサッカーファンも多いだろう。1994~2006年までオーストラリア代表でプレーし、2001年コンフェデレーションカップの準決勝で日本代表が対したときにも出場していた。豪雨の横浜国際競技場(日産スタジアム)で中田英寿がグラウンダーのFKを決めた印象的な一戦である。

 さらには、シドニーFCはグラハム・アーノルドが監督を務めている。これまた日本になじみが深く、1985~1997年にかけて豪州代表で活躍し、サンフレッチェ広島でもプレーしていた。

 メルボルン・ビクトリー、シドニーFC、ケヴィン・マスカット、グラハム・アーノルド、1990年代の豪州代表、そしてサンフレッチェ広島…。これだけ頭のなかに入ってくると、連想ゲームのようにひとりの監督の名前が自然と浮かび上がってきた。

 エディ・トムソン--。スコットランド出身で、現役の晩年を豪州に新設されたオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)でプレー。気候や環境を気に入り、引退後にそのまま豪州で指導者となり、NSLで年間最優秀監督に3度選出されるなどたしかな実績を残し、1990~1996年は豪州代表監督を務めた。そして、1997年にサンフレッチェ広島の監督に就任。2000年まで4シーズンに渡ってJリーグで指揮を執った日本サッカーに縁のある人物である。

 1997年当時、私はちょうどサンフレッチェ広島の担当記者をしていた。来日直前まで豪州代表監督だったエディ・トムソンは、その後に取材を通じて日本サッカーについていろいろな話をしてくれた。なにしろ、同氏が率いる豪州代表と日本代表は1994~1996年の3年間で6試合(2勝2分け2敗)しており、すっかり日本サッカーに精通していた。

 「代表に限らず、日本の選手は簡単なことをする代わりに難しいことをする。また、両サイドのゴール前でパニックになる。辛抱強くプレーすればいいところで、焦ってしまうことがある」

 「日本にサッカーをさせておいて、でも得点は許さない。豪州は意図的にそういった展開に持っていき、得点を狙うことができる」

 「(日本は)試合を支配できていると思う。ただ、支配はしているが、得点ができそうだという気があまりしない。チームとして機能していない。すべての部分に考えが行き渡っていない状態で、組織的なものが感じられない」

 「国際試合でもっとも大切なのは戦術だ。どこの国にも必ずいい選手がいる。いかに自分のチームの中心選手をフリーにして、相手の中心選手をフリーにさせないかが大事だ」

 改めて当時の取材ノート(1997~2000年)を見てみたら、これらの言葉を拾うことができた。懐かしくもあるし、いまの日本サッカーに当てはまるものもある。エディ・トムソンはサンフレッチェ広島で輝かしい成績を残したわけではないが、印象に残る言葉を数多く残してくれた慧眼の持ち主だった。

 2001年に日本を離れると、2002年にそれまでの功績がたたえられて豪州サッカー連盟の殿堂入り。豪州と日本。両国サッカーの発展のために、その後もますます活躍が期待されていたが、2003年2月21日、闘病の末に55歳の若さで亡くなってしまった。訃報を知ったときは、大きな衝撃を受けたのをはっきりと覚えている。

 ケヴィン・マスカット、グラハム・アーノルドだけではなく、エディ・トムソンのもとサンフレッチェ広島でプレーした以下の3人、アウレリオ・ヴィドマー(豪州代表アシスタントコーチ)、トニー・ポポヴィッチ(ウェスタン・シドニー監督)、スティーブ・コリカ(シドニーFCアシスタントコーチ)も各方面で活躍しており、豪州サッカーの発展を支えている。

 川崎フロンターレ-メルボルン・ビクトリーを取材しながら、いろいろと思い出してまたエディ・トムソンの言葉に触れてみたくなった。記録として残す意味でも、こうして記しておきたい。(飯塚健司/フリーランスライター)

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