森昌子、家族に仲間に支えられた47年 心強い味方だった「花の中三トリオ」 - SANSPO.COM(サンスポ)

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森昌子、家族に仲間に支えられた47年 心強い味方だった「花の中三トリオ」

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中学1年生のとき、日本テレビ系オーディション番組「スター誕生!」で初代グランドチャンピオンになり、13社から入札のプラカードが挙がる(右は司会の萩本欽一)=1971年  歌手、森昌子(60)が年内いっぱいで引退することが24日、分かった。サンケイスポーツを通じ「還暦を迎え、人生の残された時間を、もう少し穏やかな中で充実させたいと思いました」とファンにメッセージを寄せた。

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 抜群の歌唱力を武器に、13歳でデビューするや一気にスターダムへ駆け上がった森昌子。人気絶頂で結婚し、離婚…。生活のために芸能界へ復帰し、音楽のみならず、バラエティーでも大活躍する復活を遂げた。歌手人生は波瀾(はらん)万丈ながら、家族や友人に支えられた47年だった。

 歌手になるきっかけはNHK「のど自慢」で優勝したこともある父、常夫さんの影響だった。3歳から父の英才教育で流行歌を覚えて歌う毎日。中学1年のとき、叔母が勝手に応募していた日本テレビ系オーディション番組「スター誕生!」の予選を受け、最終選考の10人に残った。

 父から「昌子がテレビで歌えるわけがない」と猛反対される中、叔母とテレビ放送がある審査会場へ。都はるみの「涙の連絡船」を熱唱し、初代グランドチャンピオンに輝く。レコード会社、芸能プロダクション合わせて13社から入札希望のプラカードが挙がった。

 レコード会社は作曲家、遠藤実さんが社長を務めるミノルフォンに所属した。芸能界入りに反対していた父が、デビュー曲「せんせい」の歌い出し♪淡い初恋-の「あ」が聴こえないと、録り直しを要求するほどのこだわりを見せ、同曲を作曲した遠藤さんと父が意気投合。父親の愛情に包まれての船出だった。

 1980年に引退した山口百恵さん(60)、2年前に活動を再開した桜田淳子(60)とは同い年で、花の中三トリオと呼ばれて人気になった。「百さん」「淳ぺい」と呼ぶほど仲が良かった。芸能事務所が同じホリプロだった百恵さんは、昌子が先にデビューしたこともあり、昌子の身の回りの世話をしていた時期があった。

 百恵さんはデビュー後も「昌子ちゃんが困るようなことを直接言わないで、私を通して」と他の歌手から守ってくれる心強い存在だったという。百恵さんが結婚、引退するときには昌子と高校の同級生だった歌手、岩崎宏美(60)に「あとは頼んだわよ」と託したほどだったという。

 昌子も86年に歌手、森進一(71)と結婚し、引退。3人の子供に恵まれたが、2005年に離婚。両親と子供3人を養っていかなければならないと芸能界復帰を決断した。

 悩んでいたある日、当時17歳だった長男(ロックバンド、ONE OK ROCKのボーカル、Taka)が「母さん、歌手だったんでしょ。歌ってみたら」、次男からも「母さんの歌、聴いてみたいな」、三男からは「どんな歌、歌っていたの?」と言われ、背中を押されたという。常に家族や友人に支えられ、それを励みに歌手活動にまい進してきた。

森昌子アラカルト

 ★「スター誕生!」 13歳で初代グランドチャンピオンに。テレビで昌子の登場を見て同じ年頃の募集が続き、歌謡界に中学生スターが次々と誕生。そのトップランナーだった

 ★芸名の由来 一般公募した中から「スター誕生!」の審査員で作詞家、阿久悠さんが本名の森田昌子から田を抜いた森昌子を「親しみやすくていい」と選んだ

 ★髪形 デビュー当時の短髪は札幌冬季五輪のフィギュアスケート選手、ジャネット・リンを意識したもの。ただ、サルの人形、モンチッチに似てるといわれ、還暦コンサートではモンチッチの着ぐるみが応援に駆けつけた

 ★NHK紅白歌合戦 15歳で初出場し、当時最年少記録に。23歳で初の紅組トリ、27歳で美空ひばりに次ぐ紅組司会&トリを務める

 ★記録 20歳で東京・新宿コマ劇場の史上最年少座長を記録。フジテレビ系「ものまね王座決定戦」の初代チャンピオンになる

 ★被災地支援活動 東日本大震災が発生した翌月の2011年4~5月に宮城・名取市や岩手・大船渡市などを慰問に訪れた。山形空港から車で数時間かけての現地入りだった

 ★ま~ちゃん コンサートのコントコーナーで昌子がふんするキャラクター。昌子のめいで小学2年生の設定。やんちゃで口は悪いが、根は優しく、昭和歌謡を歌うのが大の得意。最近はバラエティー番組にも登場して話題に

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