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【関西レジェンド伝】正司歌江(5)社長に直訴し照枝と花江の3人「三婆」誕生

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かしまし娘“解散”後、高野山で得度を受けた  1981(昭和56)年5月、かしまし娘が突然終わることになり、私は悩んで、高野山へ行きました。以前から知り合いだった宝亀院の宮武峯雄僧正に今後どうしたらいいのかと相談したところ、得度(とくど)を受けなさいと言われました。

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 得度とは出家のこと。普通なら何年も修行しないといけないんですけど、私のことをよく知っていらっしゃる方で、「あなたの今までの人生がいい修行になっています」と。秀明尼(しゅうみょうに)という法名をいただきました。

 急に仕事がなくなったのですから、大変です。東京へ拠点を移し、芝居や講演をするようになりました。芝居については芦屋鴈治郎さんや長谷川一夫先生に教えていただいた。その点ではすごく幸せでした。

 長谷川一夫先生といえば戦前からの大スター。昔、子供だった私が楽屋から親に電話していて、「歌江ちゃん、あんたら本当に親孝行だね」と言われたことがあります。母は結核で血を吐いていたので、心配して父に楽屋から電話していたんです。それから何十年も経って、長谷川先生の公演に出られたときはうれしかったですね。

 松竹芸能の勝忠男社長とは、かしまし娘をやめなさいと言われてからずっとお会いしてなかったんですが、95年の阪神・淡路大震災のとき、芦屋(兵庫県)に住んでいた勝社長は家がつぶれてホテル住まいだと聞いた。心配になったので、手紙を書いたんです。勝社長からも連絡がきて、久しぶりにお会いした。

 何がしたいんやと聞かれ、「照枝と花江の3人で『三婆』をやりたい」と訴えました。有吉佐和子先生の小説が原作の舞台です。東宝の作品なので松竹でやるのは無理なんですが、勝社長が手配してくれて有吉先生の娘さんにも了解をもらってくれました。

 東京の山の手が舞台なのを帝塚山に変えて、せりふも大阪弁に直した。おかげさまで評判がよく、各地を巡業しました。その後、年に1回はかしまし娘の3人で芝居の1カ月興行をやるように。人の縁というものは本当に大切です。

 そうそう、2009年にはワハハ本舗に入りました。喰始(たべ・はじめ)社長が欽ちゃんの仮装大賞のスタッフだったので、仮装大賞のディレクターだった息子が知り合い。柴田理恵さんと舞台で共演させていただいたこともあって、入れてもらったんです。ワハハ本舗の舞台って演目によっては、男性が裸になることもあるんです。もちろん大事な所は隠してですよ。最初はびっくりしましたけど、みなさんいい人達ばかり。楽しく舞台に立たせていただいています。

 年齢も年齢ですから、左ひざは手術で人工関節を入れています。16年には心臓を患って入院。声が一時出なくなった。歌っていたときに比べて声が少し変わっちゃいましたけど、出るようになっただけでもありがたい。好きな日本酒も飲んでますし、花江ちゃんが食事をつくって持ってきたりしてくれる。かしまし娘はまだまだ元気です。 (おわり)

正司 歌江(しょうじ・うたえ)

 1929(昭和4)年8月13日生まれ、89歳。北海道出身。56年に姉妹で音曲漫才トリオ、かしまし娘を結成。81年に活動休止し、女優として活躍。

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