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【大河のころ 西田敏行(1)】上野公園の銅像に風貌近づけ「ご存じ、西郷隆盛」

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鹿児島ロケで撮影された西郷と大久保の別れのシーン。西田(左)と鹿賀(右)は迫真の演技を見せた=1990年7月撮影  放送55周年のNHK大河ドラマ歴代主演俳優に迫る大型連載第7回は、1972年の「新・平家物語」を皮切りに語りを含む13作に出演、うち4作に主演した“大河のキング”西田敏行(70)。初主演となった90年の「翔ぶが如く」は鹿賀丈史(67)とのW主演作で、西郷隆盛を演じた。現在放送中の「西郷どん」の語りを担当しており、話の始まりは自然と新旧の西郷どんに…。

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 今、僕が語りを務めている「西郷どん」は、鈴木亮平くん(35)が西郷隆盛を大事に演じています。アドバイスなんてないですね。彼の西郷隆盛を完結してほしい。面白く拝見しています。

 僕が司馬遼太郎さんの原作の「翔ぶが如く」で西郷隆盛を演じたときは政治劇に寄った内容でした。当時、福島育ちの僕の周りには、戊辰戦争で薩長にひどいめにあったという認識を持ったじいちゃん、ばあちゃんたちがいて、反感を買うかと危惧しましたね。

 でも、西郷といえば、わが郷土が舞台の大河ドラマ「八重の桜」で演じた会津藩家老、西郷頼母(たのも)がいます。彼は明治政府がどんな国を作るか、生き恥をさらしても見てやるという気持ちで死んでいった切ない男。会津の人が西郷隆盛の存在をどこかで認めているのは、そんな関わりからくるのかもしれないですね。「薩摩の人間で、しかも“西郷”をやるんだったらいいんじゃねぇの」って、認めてもらったんです。

 隆盛は、中学時代の修学旅行で見た上野公園の銅像のような風貌、風体にしてみたいなって、イメージを浴衣姿にしたんです。そうすれば「ご存じ、西郷隆盛」となるでしょう?

 役作りで大きい体になるために寝る前、消化のいいうどんを食いました。撮影の前の年、テレビ番組で行った太平洋の島国、キリバスで蚊に刺され、デング熱を発症したんです。日本ではデング熱なんてなくて骨髄液まで採って検査をして。デング熱で痩せてうどんで太って。ふふふっ。肉じゅばんでもカバーしました。

 薩摩言葉も思い出すな。長いせりふもあれば、怒鳴り合いもあって、政治劇に近かったから固いせりふも多かった。僕は音感が良い方なんで人よりは苦労せずに済んだけど、気持ちや感情が入ってくると方言のせりふはかなりキツイもんです。自宅で家族との会話に薩摩弁が出たときにやっと自分の血肉になったと思いましたね。

 奄美大島のロケで、映画「釣りバカ日誌」で共演した石田えりちゃん(57)が奥さんの愛加那役で出演したときは、背景が海だし、(釣りバカの主人公の)ハマちゃんと混乱したね(笑)。後妻のいと役の田中裕子ちゃん(63)が僕の頬に手を当てるシーンのときは、思いっきり抱きしめちゃいました。

 西郷さんはセクシュアルな動きをしない方がいいと思いましたが、体が自然に動いて。裕子ちゃんのおかげで、西郷さんの柔らかい部分が出せたと思います。

 大久保利通役の鹿賀ちゃんはあの頃、ミュージカル「レ・ミゼラブル」とかに出ずっぱりの売れっ子で、スケジュールもかなりハードでした。鹿賀ちゃんが「血を吐いちゃいました」っていうことが何度かあり、胃が潰瘍みたいになったんでしょうね…。

 彼は戦友ですよ。鹿児島のロケでは(繁華街の)天文館の辺りで飲んで薩摩ラーメンを食って、いろいろ語ったね。鹿児島の風や土、空気の匂いのおかげで、すんなり役に入れました。タクシーに乗っていても、運転手さんが薩摩なまりでしょ。故郷へ帰ってきた懐かしさを覚えました。

 あの1年間は福島県人を捨てて、鹿児島県人でした。(9日付に続く)

翔ぶが如く

 1990年放送。作家、司馬遼太郎の同名小説が原作。征韓論に端を発した1873(明治6)年の政変から77(明治10)年の西南戦争までを大河初の二部構成「幕末編」「明治編」で描いた。西郷隆盛と大久保利通役の西田、鹿賀のW主演も話題になった。平均視聴率は23.2%、最高視聴率は29.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。

西田敏行(にしだ・としゆき)

 1947(昭和22)年11月4日生まれ、70歳。福島県出身。俳優を志し15歳で上京。明大を「1日出席しただけ」で中退。70年に青年座入り。73年、NHK連続テレビ小説「北の家族」に出演し、80年のドラマ「池中玄太80キロ」で人気に。代表作にミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」、映画「釣りバカ日誌」など。2008年に紫綬褒章、18年には旭日小綬章受章。74年に結婚した夫人との間に2女。

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