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理系の落語家、桂歌助が出版した「師匠歌丸」が泣ける/芸能ショナイ業務話

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著書「師匠歌丸」を上梓した桂歌助  桂歌丸師匠(享年81)の四十九日(19日)が過ぎた。コラムの担当としてよく楽屋に通してくださり「落語をこれからも応援してくださいね」との言葉を置いて、旅立たれた師匠。そんな昨今、一冊の本と出会った。

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 歌丸師匠の初の直弟子、桂歌助(55)が著書「師匠歌丸」を出版した(イースト・プレス発行、1500円+税)。サブタイトルは「師匠の背中を追い続けた32年」。新潟・十日町高校時代は野球部に所属。新潟大会ベスト8で甲子園への夢が破れ、今度は教職をとって、監督として甲子園を目指そうと得意の数学を生かして東京理科大に進学した。

 教師になるなら話が上手なほうがいいだろうと、勉強のために落語のテープを聞き始め、気付いたら落語家になっていた…という落語の世界から飛び出したような生い立ち、師匠との出会いや修行時代、弟子を褒めずに育てたというその素顔を描写。愛と涙と感謝が織り込まれている。

 これは天国にいる歌丸師匠へのラブレターだ。そして、まだお会いしたことがない歌助さんに、インタビューしたいと思った。すると、いきなりチャンスが到来した。念ずれば花開く。本を読んだ直後に、歌丸師匠が通っていた横浜橋商店街の理容店「ユカワ」のご主人、湯川豊さん(57)の計らいでお会いすることができたのだ。

 なんと歌助さんも「ユカワ」の顧客で、師匠に弟子入り後、32年間通い続けているという。理髪店まで一緒で、いつも座る椅子も入り口に最も近い“歌丸シート”。どれほど慕っているのかが、痛いほど伝わってきた。

 その日は歌丸師匠の最初の月命日、8月2日だった。歌助さんは、湯川さんの手で散髪してもらうと、徒歩数分の歌丸邸に出掛けていった。出身の新潟の名産、小千谷ちぢみの着物が夏空によく映えていた。

 しばらくして「ユカワ」に戻ってきた歌助さんは「おかみさんがいらして、仏壇に手をあわせてきました。本は、できあがったときに自宅に届けてあります。今ごろ、空の上で喜んでくれているのか、顔をしかめているのか、どちらでしょうね」と肩をすくめた。なお商店街のお茶の専門店、玉喜園や高橋薬局でも著書を店頭販売中だ。

 昨年、出版プランを師匠に相談すると「悪口を書かないなら、いいよ」と承諾を得たという。その間も歌丸師匠は入退院を繰り返し、回復を祈念し続けてきた歌助さん。本編のみならず、あとがきにも『この本が出版されるころには、退院しているに違いない』と思いを込めている。

 「書き終わったのが6月で、あとは読んでいただくばかりでした。印刷に出しているときに目を瞑ってしまわれ、本当に残念でなりません」。本の発売は、“旅立ち”から13日後の7月15日だった。表紙を飾った師弟の写真は、最後の高座になった4月19日の国立演芸場で撮影。本を読んでは涙を流し、歌助さんの話を聞いて、さらに心はどしゃぶりになった。

 10月23日(火)には、一門による桂歌丸追悼落語会を横浜・吉野町市民プラザで開催(午後2時開演)。たくさん泣いた分、その日はたくさん笑いを吸収しようと、今からそう思っている。(山下千穂)

 桂歌助(かつら・うたすけ) 本名は関口昇。1962(昭和37)年9月19日、新潟・十日町市生まれの55歳。85年に桂歌丸に入門し、歌児となる。90年に二ツ目に昇進し、歌助に改名。99年に真打昇進。出囃子は十日町小唄。十日町高校野球部のポジションはセカンド。右投げ右打ち。01年の夏、母校が甲子園初出場した第83回大会は、現地で明徳義塾戦を観戦。東京理科大学では理学部数学科卒業。趣味・特技は日本舞踊、囲碁、合気道、野球。十日町観光大使で「雪と着物とコシヒカリ」を常にPRしている。落語芸術協会所属。横浜市在住。

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