【大河のころ 中井貴一(1)】「化けるのが仕事」 初大河27歳のしゅっとした信玄誕生 - SANSPO.COM(サンスポ)

試合
速報

【大河のころ 中井貴一(1)】「化けるのが仕事」 初大河27歳のしゅっとした信玄誕生

更新

勇猛で風格のある武田信玄を演じた中井。信玄の力強い生き様を体現した=1987年11月撮影  放送55周年を迎えたNHK大河ドラマの歴代主演俳優に迫る大型連載の第5回は、1988年に放送された「武田信玄」の中井貴一(56)。歴代最高平均視聴率39・7%を獲得した「独眼竜政宗」の次作というプレッシャーの中、威厳ある武田信玄を好演し、同2位の39・2%を記録。父、佐田啓二さん(享年37)が出演した大河第1作「花の生涯」(63年)との不思議な縁や、「信玄」で共演した菅原文太さんとの秘話などたっぷりと語った。

<< 下に続く >>

 大河初出演でいきなり主役の武田信玄を演じたのは、僕が27歳になる年。大河の主役としては当時、史上3番目の若さだったそうです。24歳で主演した「源義経」の尾上菊五郎(当時は菊之助)さん(75)、25歳だった「竜馬がゆく」の北大路欣也さん(75)の次です。

 実は、最初にオファーをいただいたときは、信玄の宿敵、上杉謙信役だったんです。前の年がすごい視聴率を取った「独眼竜政宗」(主演・渡辺謙)。NHKに行ったら「初めての大河で、『政宗』の次の主役の責任を負うことはない。2番手の謙信役をやってもらっていずれ主役を。清潔感があってしゅっとしている中井さんは、謙信のイメージにぴったり」と説明されました。

 ところが、次の日に電話が来て「武田信玄をやってもらいたい」と。話が違うよ! なんで急に変わったのか、僕にも全然分からなかった。

 少し時間をもらって、学生時代の友達とか、業界と関係ない人たちに「信玄やれそうかな」と聞いてみたら、「柄が違う」「信玄はもっとでっぷりしている」といわれて…。僕はあまのじゃく。だから、「やります」と返事したんです。

 役者は自分の柄で仕事を決めるのか? 化けるのが仕事だろうと。「政宗」の後だから責任重大だけど、責任がないものをやっても面白くないとも思った。それに、54年前(1964年)、父が交通事故で亡くなった場所が山梨だった。その土地の武将の話が来るのは縁かな、信玄役をやれってことなのかと思ったんです。

 「武田信玄」のチーフプロデューサー、村上慧さんが僕の家に来たときのこと。村上さんは、父が出演した大河第1作「花の生涯」(63年)のスタッフで、やっぱり家に出演交渉に来ていた。当時と応接間が変わっていなかったから、「そのときの景色がここにあって、今、自分は息子さんに主役の依頼をしている。感慨深い」とおっしゃった。

 応接間で出演交渉が行われたとき、僕は1歳。母によると、父は最初、時代劇は不慣れだからと断ったのですが、NHKの方は父を口説くために1カ月通ってきた。毎晩、ウイスキーを1本ずつ空けて帰っていくので、母が父に「いい加減にして。破産するわよ。出るか断るか、早く決めて」と。それで出演を決めたそうです(笑)。

 信玄の撮影初日のことは忘れられないなー。台本には「山の上から下を見下ろす。雲海が広がっている」と書かれていた。山梨ロケは、前日が土砂降り。最悪だなと思っていたら、翌朝には晴れた。湿気があったおかげで、台本通り、雲海になった。すごいなと。1年3カ月の大河の撮影はこうして始まりました。 (8日付に続く)

「武田信玄」

 戦国時代最強ともいわれる甲斐の武将・武田信玄の生涯を描いた。上杉謙信(柴田恭兵、66)とは10年に及ぶ川中島の戦いを繰り広げた。天下統一を狙い領土拡大を進める中、病死してしまう。最高視聴率は49・2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。信玄の母・大井夫人を演じた若尾文子(84)のナレーションの締めのせりふ「今宵はここまでにいたしとうござりまする」は放送された1988年の流行語大賞に選ばれた。

中井 貴一(なかい・きいち)

 1961(昭和36)年9月18日生まれ、56歳。東京都出身。成蹊大在学中の81年に映画「連合艦隊」でデビュー。83年のTBS系「ふぞろいの林檎たち」で人気に。2003年の映画「壬生義士伝」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。映画「亡国のイージス」など代表作は多数。12月に上演される三谷幸喜氏(56)演出のミュージカルに出演予定。父は1964年に交通事故のため37歳の若さで亡くなった俳優、佐田啓二さん、姉は女優でエッセイストの中井貴惠(60)。自身は00年に一般女性と結婚した。

ランキング

PR