【甘口辛口】柴田政人師のダービー史に残る名言誕生秘話 - SANSPO.COM(サンスポ)

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【甘口辛口】柴田政人師のダービー史に残る名言誕生秘話

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柴田政人調教師  ■2月22日 1993年。日本ダービーを制して報道陣に囲まれた彼はテレビカメラの前で語った。「私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人です、と世界中のホースマンに伝えたい」。騎手生活27年目の44歳が19度目の挑戦で悲願を果たしたこともあり、ダービー史に残る名言といわれる。だが、それが“孫引き”だったのはあまり知られていない。

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 野平祐二騎手が69年に海外の大レースに挑戦するため渡英。そこで会った元騎手が、自分のことを「私はザ・ダービーを勝ったゴードン・リチャーズです」と紹介した。

 4870勝を挙げリーディングジョッキーに26度も輝きながら、英ダービーを勝ったのは引退する前年のこと。ダービーの重み、ダービーを制したことへの誇り、勝利騎手と勝ち馬の名誉が彼の言葉に凝縮されているように思え、野平さんは深い感動を覚えたという。騎手としてダービーを勝てなかった野平さんから聞かされたエピソードを自身と重ね合わせ、発したのが冒頭の言葉だった。

 調教師として満足する結果を残せなかったのは人と人とのつながりを重んじ、勝負師に徹しきれなかったからだろう。元番記者は、コンビを組んだファンタストが78年の皐月賞制覇から3カ月後、腹痛で苦しみ柴田さんの肩にあごを乗せながら大きな声でいなないて死んだとき、涙が止まらなかったことを本人から聞いた。調教師として管理馬を調教中の事故で初めて死なせたとき、馬主に電話で報告しようとして、ただむせび泣いていたのも知っている。

 そんな人情派が今月いっぱいで引退する。騎手1767勝、調教師191勝(22日現在)。育てた騎手、石橋脩。笑顔で最後のレースを迎えてほしい。 (鈴木学)

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