【虎のソナタ】キャンプ前夜、星野監督絶叫「俺は勝ちたいんや!」 まな弟子・矢野監督は何を語るのか… - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】キャンプ前夜、星野監督絶叫「俺は勝ちたいんや!」 まな弟子・矢野監督は何を語るのか…

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 花冷えの残る開幕直前の後楽園球場だった。背中を丸めた老人が薄暗がりでグラウンドを注視していた。1987年4月9日。目前では中日の新監督星野仙一が仁王立ちしていた。鬼気迫る気配に誰もが遠巻きにしている。その老人、千葉茂(川上哲治より先に巨人の監督候補になった男)でさえ張り詰めた空気にたじろいでいた。

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 声をかけたら千葉さんはボソッと「おい、星野は開幕投手は誰にするつもりなんや」という。当時は予告先発はない。順当ならエース小松辰雄だが、読み切れない。星野に聞くような空気でもない。巨人監督4年目の王貞治も、また緊迫感に包まれていた。

 「世間じゃ今年の王は必死に勝ちにいくというとるが、違う。彼は腹をくくっとる。だから自分の思ったとおりの野球をやる。星野は“勝ってやるゾ”と煮えたぎっとる。その勝負なんや」

 翌10日の開幕戦、中日はエースを回避し、杉本で●。巨人は西本で○。2戦目は鈴木孝●-江川○。やっと第3戦に小松で、星野は監督初勝利を飾った。

 -すぐれた魂ほど大きく悩む、と作家坂口安吾は「太宰治情死考」で書いている。なぜ小松に逡巡したのか? と聞いたら、星野監督は無言だった。中日で星野は2度指揮を執り、優勝し、野村克也が「TOP野球」というノートを小脇にかかえて名門阪神再建に登場し、散々な思いの後、その“荒れたサバンナ”に小さな芽を蒔いて去る。

 かくて15年間で吉田→村山→中村→藤田→吉田→野村で最下位10度、5位2度、4位2度。Aクラス(2位)はわずか1度。そして2002年に中日監督を退陣した星野仙一氏が第29代の阪神監督として、火中の栗を拾う。

 「NEVER NEVER NEVER SURRENDER」

 甘ったれ気質充満の老朽化した猛虎座の花道で、団十郎もどきの大見栄をきってどうするんだ、星野? だが、55歳の彼は02年のキャンプ直前の宿舎で選手にリンとこう言い放つ。

 「野球に恋して、野球を愛してみろ!」

 ン、さすがの星野もこの名門には媚びるのか? とさえ思った。新米監督としての後楽園の薄暗がりのナイター練習での鮮烈な炎を忘れたのか。だが当時、星野こそ虎に革命をもたらす男と信じて動いた元中日担当稲見誠(現企画委員)はちゃんと彼の心理の奥ヒダを見ていた。

 1年目の星野阪神は4位。2年目のキャンプ前夜、星野はこう叫ぶ。

 「俺は勝ちたいんや!」

 活字にするとまるで駄々っ子の絶叫。しかし、稲見はいよいよそこに星野監督の捨て身をみる。キャンプ中旬の久万オーナーの肺がん手術、星野に忍び寄る嘔吐、そして9月15日午後7時33分、阪神18年ぶりの『優勝』。彼は甲子園で7度舞った。

 巨人監督原辰徳は辞任の決意。見送る星野。TG最終戦の両将の涙と抱擁のロマン。これが「伝統の一滴」の美しさなのだ。

 時は巡って2017年、星野の野球殿堂入りパーティーの壇上でのあいさつ。「野球に恋してよかった」。15年後、点が線になった。

 コロナ禍の中で、まもなく阪神の選手はキャンプ地に向かう。阪神の監督はメビウスの輪を必死で歩むてんとう虫ともいわれてきた。悔しい。星野のまな弟子、矢野燿大はキャンプ前夜、何をナインに語るのだろう。

 今年のスローガンは「挑む 超える 頂(いただき)へ」である。

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