【虎のソナタ】記憶に残るルーキー田淵の“奔放さ” 遠井とビール70本翌日決勝弾…佐藤輝も頼むぞ~ - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】記憶に残るルーキー田淵の“奔放さ” 遠井とビール70本翌日決勝弾…佐藤輝も頼むぞ~

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 自分はなんて愚か者かと思う。「成人式」でド派手な羽織など着込んで大騒ぎしている若者たちをテレビで眺めながら、ため息をつく資格は俺にはないか…。寒い朝。冷蔵庫をあけて冷えた体に元気づけに…と酎ハイに“連敗”続きだ。

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 -渇しても「盗泉」の水は飲まず…昔、孔子サマが旅の途中でノドが乾き、道端のきれいな清水がある。名前が「盗泉」とあるので孔子はその水を飲まなかったそうだが、あいにく私めは孔子サマじゃない。

 それにしてもなんとも大変なことになっちまったものだ。せっかく我が阪神がなかなかの補強をして、イイ感じになってきたというのに…と思いつつ1年前の今頃はどないなコトになっていたのかと思いつつ新聞をめくってみたら…1月15日付の1面に、阪神が誇るホームランアーティスト田淵幸一氏が野球殿堂に顕彰された晴れ姿がデカデカと出ていた。田淵さんの阪神入団時からの虎番だったから、笑顔がいまだに印象に残る。故星野仙一氏や山本浩二氏との若き日のトリオのスター性はまぶしかった。

 「これでやっと俺も星野と浩二と並んだ」と満面の笑み。その頃はまだコロナウイルスはどこかに隠れて薄ら笑いをしていたのである。

 虎番キャップ安藤理は「僕は田淵さんが阪神入りした頃(1969年)はまだ生まれてませんので、佐藤輝明選手と比較しようがありません。でも田淵さん以来の大器と期待はできますから、トラ番の精鋭・原田遼太郎をあえて重点的に“田淵二世”としてマークさせてますョ」という。原田記者も「その冷静さと硬軟とりまぜて性格などをみると十分、その『田淵スター性DNA』を受け継ぐ資質は期待できます」という。それは連日のサンスポ紙面に期待値があふれている。ただし、初代の田淵番としてはいまだに強い記憶に残る1年目の田淵幸一の“奔放さ”については舌を巻いたものだ。

 彼はなかなか大阪の文化にはなじめなかった。だから甲子園裏にあった旧虎風荘でもほとんど外出しなかった。だが、当時は後藤次男監督。打撃コーチは谷本稔だからかなり自由が利いた。そこに遠井吾郎という無類の酒好きの強打者がいて可愛がられたから、遠征先ではチーム一の酒豪に「いくか」「ハイッ」となる。当時の4番は爪楊枝をくわえた陽気なカークランド。5番が田淵。6番が遠井だ。

 69年5月20日の広島戦(広島市民球場)で阪神は●4-9。その夜も朝6時まで2人は7軒のはしご。2人で呑んだビールは70本! 翌21日の広島先発は外木場。この試合は0-0で延長戦となり、十二回1死から田淵に打席が回る。するとネクストの遠井が田淵に耳打ち。「おい、いい加減にケリをつけろ。じゃないともうお前とは飲みにいかんぞ」。もちろんハッパのつもりだ。で、田淵は外木場の内角球をズコーン! 決勝8号。その夜も2人は7軒を飲み歩いた。いまならコロナで大騒ぎになる時間だ。

 田淵はこのシーズンは22本塁打を放ち「新人王」に選ばれた。

 あけて2年目。兼任監督に村山実。田淵の教育係兼ヘッドに藤井勇が登場し、彼はグリップの握り方から田淵を再教育して、彼もまたこの藤井流に心酔して成長していくが…相変わらずの“二日酔い”コンビは続いた。

 2年目も快調に飛ばしていた田淵は8月26日の広島戦(甲子園)。投手は外木場。前年に新人王に輝いた22号まで「あと1本」となっていた絶好調の田淵は三回に外木場の内角球を左側頭部に受けて…昏倒。途中に急性腎炎にもなり、戦列復帰は3年目の71年6月だ。その後、西武に放出され男泣きしたが、すぐ広岡イズムにも「やっと野球をしてる気がする」と呼応した。

 佐藤輝明に期待するモノはその屈託のないまぶしさである。

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