【虎のソナタ】ススキの季節になると思い出す涙の胴上げ 12年前、岡田阪神が優勝していれば… - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】ススキの季節になると思い出す涙の胴上げ 12年前、岡田阪神が優勝していれば…

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2008年10月20日、V逸の責任を取って辞任した岡田監督はCS敗退後、ナインに胴上げされて悔し涙を流した  -運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構と作家夏目漱石は『虞美人草』のなかで書いた。

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 そうはいってもサ、われわれは凡夫の哀しさ。小さなことをいつまでも引きずり、クヨクヨと虎のゲームをあれこれと振り返り、安酒をあおる雑草のたえなる安堵感が落ち着くんですヮ。

 「もし、あの時、イフ・エニィ(仮にならば…)が許されるなら」といつも歯ぎしりしたくなる思いは、どなたも引きずっているはずだ。

 冷え冷えとしたススキの季節になると、思い出すのが2008年10月20日の京セラドーム。セ・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージ、阪神-中日。そうダス。阪神は頼みの藤川球児が打たれて敗戦。岡田彰布監督を選手が涙の胴上げをして、もらい泣きをしながら「別れ(辞任)」を惜しんだのです。

 阪神ファンはヤジはすごいが、実は心が温かいということを書きたくて少し紹介します。

 08年の開幕は阪神がいきなり5連勝。原辰徳監督の巨人はイヒヒッ球団史上初の5連敗でした。阪神は赤星-平野-新井-金本-鳥谷-関本-葛城-矢野と12年前だから元気だったといいたいが、チト老化の兆しも。投手は下柳、安藤、抑えの藤川球児が絶好調でござんした。

 巨人はヤクルトから打点王のラミレス(現DeNA監督)、最多勝のグライシンガーを大型補強していたのに、阪神は快進撃して、7月は2位巨人に13ゲーム差をつけていた。1996年の長嶋さんの「メークドラマ」の大逆転でも11・5差だから、もうウハウハ。当時のトラ番キャップは前日19日に編集総括だった運動部長大澤謙一郎。

 快走しているから疲れもみせず東奔西走だったが、実は疲れていたのは主砲の新井の腰。8月の北京五輪には阪神の星野仙一シニアディレクターが監督に推薦されて、星野ジャパンの4番に新井が切望され、阪神は大差もついていることだしと主砲を送り出した。が、これが命取り。

 北京五輪でメダルをとれずに帰国したとき、番記者の稲見誠(現企画委員)は星野に「岡田監督に電話を入れておいたらどうです」と水を向けた。すると星野は首を横に振ったそうだ。プライドが許さなかったのだろうか。五輪後の8月末に新井の腰は疲労骨折が判明して、ほぼシーズン絶望という診断が星野への風当たりを強めた。しばらく「やはり五輪監督は現役監督がいい」などと星野は針のむしろに座ることになった。

 7月22日、阪神にマジック46が点灯! そこからも貯金いっぱいだから余裕はあったけど…。

 「あれは9月の9~11日。阪神は甲子園でヤクルトに3連続サヨナラ勝ち。ミラクル連勝での6度目のM点灯に番記者も沸き立ったのですが、岡田監督はニコリともせず『こういう勝ち方はアカンのよ。勢いなんか出んよ』と試合後に苦虫を噛み潰して言い放った。さすがやと思った」と当時を思い出し、部長大澤はいう。

 新井の疲労骨折が判明したときに山本浩二、田淵幸一の助さん格さんには恵まれたものの「情の濃い星野野球には島野育夫さん(故人)みたいな参謀役がいなかったなぁと改めて思った」と稲見もシミジミと言った。

 この夜のヤクルト戦の引き分けを見ながら、底冷えのする静寂のなかで寂しいスタンドを眺めて吐息がもれた。12年前のこの夜、CS敗戦。激闘を演じた岡田阪神が優勝していれば…。阪神の歴史は全く別のページが始まったハズなのだ。

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