【虎のソナタ】二人の舶来砲外しは矢野流カンフル剤? かつての藤本定義流“心理療法”とダブる - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】二人の舶来砲外しは矢野流カンフル剤? かつての藤本定義流“心理療法”とダブる

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ボーア(中央)とサンズ(左)がそろってスタメン落ちした  秋ですなぁ。「閨(ねや)の月」「峯の月」それとも、まさかの「残塁の涙月」ゴホゴホ。違いましたぞなもし。大山のバックスクリーンへの一直線の2ラン! 読者の皆さまはさぞかしうまい酒でしたでしょ。これ以上は申しますまい。

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 この季節になりますと思い出されるのが、江夏豊投手が入団したばかりの1967年の秋口、広島遠征でのこと。

 当時の宿舎をふらりとのぞくと玄関が異様な空気。「あ、エエとこにきてくれた」と某ベテラン投手。ン、何事ぞといえば、階段を音を立てて降りてきたのが当時エースの村山実さん。どないしましたん? 肩を激しく上下させている。こりゃただ事ではない。するとムラさんもピヨピヨ虎番の俺の顔をみて複雑な顔。どないしましたん、どないもこないもあるかい。今から大阪に帰るんじゃ!

 エッ。とにかく言い出したら後に引かない。一体、何が起きた。

 「ちょっとこいッ」と彼は宿舎の脇の川辺の公園のベンチに筆者をつれていき、興奮して「藤本のじいさん(定義監督)が俺に『ムラ、投げたいんやったら投げさせたるぞ』というねん」という。

 これですべてがピンときた。その頃、期待のルーキーは江夏豊。この年のエース村山は31歳だが右手の血行障害に苦しんでいた。村山から江夏へ、投手陣再編が緊急課題。藤本監督の心理療法? は大急ぎで江夏豊にエース学をたたき込むためほぼ毎日、遠征先の自室に江夏を呼び「投手の心得」を集中講義した。故障気味の村山は心理的に追い込まれる。認めたくない。それでついに牙をむく。なにしろまだ31歳だ。

 激励と刺激をかねた藤本定義流は当時の守りの要、村山をゾクリとつつく。「おい、投げたいんやったら投げさせたるゾ」と口走り、カッとして村山が荷物をまとめて帰阪しようとしたところに筆者が間抜け面でノコノコと遭遇した次第だ。

 「今から大阪に戻って野田オーナーにこんなこと言われました、と報告する!」

 振り向くと宿舎の窓には阪神ナインの顔、顔、顔。あわてて筆者は「そうですか。それでは私はトラ番として『村山が不平不満をのぞかして帰阪した!』と書きますヮ」といった。なんでや。だってこれはどうみても、単なるあなたのわがままですと言ったら、そこは村山。すぐ冷静になって「ほな、どないしたらエエんや」。今から監督の部屋にいって謝罪ができますか? しばし沈黙。村山はスパッとうなずき、よし、行って謝ってくるわ!

 藤浪晋太郎の逡巡。この夜の先発高橋遥人とはわずか1歳違いだから、俎上に載せて比較する段階ではない。が今、阪神にはそういう教育が必要な選手(投手)が順番待ちしているのも事実だ。

 オーダーを見ればもっと顕著である。キャップ大石豊佳は「今日の打順が矢野監督の決意を示している」という。先発は高橋遥人。藤浪は「黙々と何かを見つめるような練習」(菊地峻太朗)だし「高橋遥人もいつもと同じく淡々としていた」(原田遼太郎)のだ。

 それが2人の舶来砲をあえて外したオーダーがかぶる。彼らにも矢野監督の真の狙いは伝わったと思う。高橋には矢野監督の深層心理が伝わっていた。藤本定義のコケの生えた教育法に若き江夏が応え、炎のエース村山が呼応して、ともに巨人に立ち向かっていったように-。それが矢野監督のカンフル“打法”だったのかもしれない。

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