【虎のソナタ】コロナで思い出した藤村富美男監督のしかめっ面 V争い真っ最中にTG襲ったインフル - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】コロナで思い出した藤村富美男監督のしかめっ面 V争い真っ最中にTG襲ったインフル

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1957年11月25日。監督交代の記者会見で藤村前監督(右)は新監督の田中義雄(カイザー田中)氏と握手を交わす  運動部長の大澤謙一郎はこの日、女子バレー、Vリーグの昨季チャンピオン「JTマーヴェラス」の『連覇に向けた決意表明の会』(ウェスティンホテル大阪)のパーティーに出かけた。別にあっちの虎が千鳥足気味なので手のひらを返したわけではない。同チームは大阪市が本拠地で練習場は甲子園の近く西宮市今津にある。

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 ゲストの西宮市の石井登志郎市長らに続いてあいさつされたのは、阪神が必勝祈願をする廣田神社の西井璋宮司だった。「我々神職はひたすら優勝をお祈りするだけでございます。タイガースはどないなってまんねんという言葉もお聞きしますが」などと話した後、JTの小幡真子主将らが優勝のお礼参りに来られたエピソードを明かしていた。そして会の最後に連覇を目指す吉原知子監督がビシッとしたあいさつ。「やっぱり、勝つっていいナア」と大澤はシミジミ。

 しかし、こう長くコロナ禍の影響が続きますと家でジッとしてるのもつらい。それで阪神のテレビ中継のスイッチを入れると、ありゃりゃ! という光景が多いのも事実です。

 つい最近、阪神に起きた『コロナ問題』(7人感染)はもちろんいろんなご意見、「選手管理の問題」「この時期に」となるかもしれないが、筆者のようにコケの生えたトラ番からみれば(もちろん反省点もあるが)、これは「只今が其時、其時が只今也」(山本常朝の『葉隠の書』)要するに何がおきてもドシッと構えていなはれ、ということでありましょう。来季への飛躍、名門復活の「第一歩」とするしかないでしょう。

 この不運なドタバタの第一報を聞いた時に筆者は阪神藤村富美男、巨人水原円裕(茂)の両監督の“しかめっ面”を思い出した。こっちが駆け出しの頃の両監督ではない。後日、ピヨピヨのトラ番が球界のご意見番になってからの「あの時の真相」という意味で“炉辺談話”のつもりで両監督に思い出話を質問したのです。

 1957年の日本といえば有名な『インフルの魔の手(流感)』が当時の優勝争い真っ最中のTGをも襲った。

 この時、水原監督は首位激戦中の5月21日(後楽園)の対阪神から6月中旬の甲子園戦までに「阪神は流感に巻き込まれとるゾ」と予告? したとか。が、藤村阪神も必死。ベンチにうがい薬。選手にはマスクをさせた。まるで現在の光景と同じ。藤村さんはいう。「あの時はベンチに入れるだけの選手が15人、ワシも注射を打ちながら試合に出たもんや」

 なんでそんなことになったのか。その前年に例の『藤村監督排せき騒動』が起きた。それが解決したのが12月末だ。あと腐れなく和解したとはいわない。さすがに藤村監督はその後遺症からちょっと腰を引く。つまり「キャンプや遠征先の選手の自由までがんじがらめにはしにくかった」のだ。当然だろう。猛虎と呼ばれた藤村さんはあの迫力でお酒はほとんど飲まないのだ。この時の『流感禍』の蔓延は現在のコロナ騒動に酷似していた。

 つまり、藤村さんは遠慮した。耐えた。41歳のトラの親分はそれでもチームを優勝争いの舞台にあげていた。流感には勝てない。皮肉にも水原監督も6月の甲子園3連戦直前に発熱。監督代行はコーチ川上哲治。阪神も高熱の藤村。

 6月4日から国鉄に●●、巨人に●●●、広島に●●と阪神7連敗。一気に4位転落。巨人は4日から大洋○○、阪神に○○○、国鉄に○●○。3位から2位に浮上。で、トドのつまりこれで土壇場で阪神と巨人は1差! 阪神はその年の11月24日、オープン戦の遠征先で「来季は若手を鍛える」と記者会見した藤村監督を突如解任。「次期監督はカイザー田中。キミは代打要員」と球団発表。エッ、うそやろ…あれだけ巨人と死闘を演じて2位なのに。藤村さんの唇が震えていたという。その“ああ無情”の心配は矢野監督にはないけれども…。

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