【虎のソナタ】ドラマ生まれる勝負の秋、今年は? 必死初先発・斎藤の姿に夢つないでおきたい - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】ドラマ生まれる勝負の秋、今年は? 必死初先発・斎藤の姿に夢つないでおきたい

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1992年9月11日の阪神-ヤクルト。八木が“幻のホームラン”。虎党にとっては秋の苦い思い出だ  最近は「リクエスト」という制度があり、微妙なプレーの判定について、監督が訴えたらリプレー検証が可能となる。

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 なんでもかんでも無制限にクレームをつけていいともかぎらないが、真剣に向き合うのは素晴らしいと思う。

 昔、とても骨っぽい審判がいて筆者の記事に翌日、えらいけんまくで文句を言ってきた。それで仕方なく審判室に当該選手を連れていったら、顔を合わすなり、その審判は笑顔でその選手と握手してその場の空気は和んだ。この大人の対応はとても印象に残っている。

 つまり、飛行機の中でマスクをしろ、誰が決めたんじゃ…となって地方の空港に緊急着陸したニュースじゃないが、要するに他の乗客に迷惑がかからないようにキチンとシステム化をしておく必要もこんな時代だからある。こと野球は複数の人間が微妙で激しいプレーを見せるわけで、今年の場合はこれからは特に緊迫関係の濃淡が分かれるから注目したい。

 あえて特筆しておきたいのだが、阪神が優勝した1964年の8月6日神宮での国鉄-巨人の七回表1死三塁。打者広岡達朗の場面で三走・長嶋茂雄が本盗を試みた。その2日前の同じ神宮で同じ七回に打席が広岡に回ってきて(この時はベンチからのサインらしい…)、長嶋は本盗を試みてアウト! まだその生々しい記憶が残る同じような場面でのことだ。

 「またか! そんなに俺が信用できないのか」となって広岡はその回が終わると、そのまんま荷物をまとめてサッサとベンチを出ていった。すごいけんまくであり、今なら誠に気まずい。

 サインか、それとも「僕が気持ちを抑えきれなかった!」(長嶋の後日談)なのか-。当時監督だった川上哲治にも何度も直接きいてみたが「…」と無言を貫いた。

 この年、巨人は5月中旬から4連敗して3位に転落。阪神は9月30日のセ・リーグ閉幕までに9試合9連勝して涙の優勝! 翌10月1日に東海道新幹線開通。10日に「東京五輪」。

 なぜこんなノスタルジックな熱い話を書いたかといえばこの日、わが運動部長大澤謙一郎は朝の球団事務所に営業案件があって久しぶりに顔を出した。いつもなら虎番が詰めているプレスルームの入り口には、使用禁止の札。そのなかの洗面所が球団職員の手洗い所になっていた。コロナ状態の空気が漂い、かなり切ない。だが、久々に顔を合わせた球団職員の皆さんは「どうしたんですか?」「(コロナがあるから)飲みにいかれへんなあ」などと声をかけてもらった。「みなさん、変わらず元気いっぱいでしたよ」と大澤はキリッという。まだ終わってはいないのだ。

 実は1992年の9月11日は甲子園のヤクルト戦で同点の九回裏、八木裕(現本紙専属評論家)の打球が左翼スタンドへ。優勝争いの途中だけに虎党は狂喜乱舞した…が、そのどんちゃん騒ぎのなかでヤクルト野村克也監督はニタリとして「左翼ラバーに当たったからエンタイトル二塁打や!」と抗議。阪神中村監督も反撃したがこういう場面はノムさんが役者は上だ。判定が覆る幻のサヨナラアーチとなった。指揮官の覚悟と迫力と日頃のドスの効かせ方がこんなところではモノをいう。野村ヤクルトが首の皮一枚で逆転のVとなった悔しい秋の一夜のドラマがよぎる。

 これからはそのこわもての勝負度胸がここぞというところでゾクリと光る緊迫シーンが続く。

 若い斎藤友貴哉に2年目でプロ初先発の舞台を与えて挑んだ矢野監督の胸のうちに去来するものは何か。

 秋はしみじみ身にしみて 真実なみだを流すなり…堀口大学は「秋のピエロ」をそう歌っている。184センチ、92キロの威風堂々のマウンド姿に夢をつないでおきたい。

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