【虎のソナタ】江川卓と小林繁のような熱い戦いを 79年6月2日…怪物のデビュー戦だった - SANSPO.COM(サンスポ)

【虎のソナタ】江川卓と小林繁のような熱い戦いを 79年6月2日…怪物のデビュー戦だった

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 おそらく世のご亭主族の皆さまは「在宅ワーク」という“呪縛”が相当辛くなっているでしょう。

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 例えば、です。この日のプロ野球当番デスク阿部祐亮の長男・遥斗くん(小3)は短縮授業ながらも、この日から学校が再開しました。新型コロナウイルスの飛沫(ひまつ)感染を予防するため使用が検討されている「フェースシールド」を楽しみにしているんだそうです。

 「カッコイイ」とのこと。「子供って何気ないところにもストレートに喜びを見つけるものなんですねぇ」と阿部。そこは彼の息子だから、やたらガールフレンドは多いけど、素顔の方がもっとイイ。コロナ禍はこんなところにもさりげなく温かみをソッと示してくれる。

 「人間それぞれですなぁ…好みって」とパパ阿部。今頃わかったのかい。それにしても読者の皆さまご同様にわれわれもかなり疲れが“煮詰まってきた”ようで、阿部は前日などは胸ポケットに入れたスマホを2度ほどドボン、ドボンと水没させてしまったらしい。夏だからなぁ…といったら「冗談じゃありませんよ。台所当番をしていてアッアッと2度も…」。ま、これで在宅勤務中の阿部家の力関係がはっきりするヮな。

 さて、お待たせしました。本日(2日)から練習試合です。無観客だから「オープン戦」と呼ばないが、とにかくスポーツは汗を飛び散らせて“戦う”から素晴らしいんだ。

 1日は投手陣が甲子園で汗。わがサンスポからは編集委員の三木建次がかけつけたが、球場入り口に、新たに設置されたサーモグラフィーが反応せず、担当者は首をかしげた。何度か挑戦して「やっと反応しましたね。35・9度で入場OKです。(記者の体形を見ながら)太りすぎですよ」とチクリ。そう言われても…と思いつつ「ご迷惑をおかけしました」と、平謝りするしかなった。

 その三木が中学3年生だった1979年の6月2日、江川卓投手が、後楽園で初登板した。阪神がドラフト会議で指名し、巨人を熱望し、日本中を二分したアノ騒動。あげ句の果ては小林繁との電撃トレード。小林は悲劇のヒーローとして阪神で大活躍した。

 天地がひっくりかえるような騒動の果てに江川は2カ月の謹慎期間を終えての6月、後楽園でのGT戦。その1日に、阪神は小林が先発し完投勝利。長嶋監督はあえてその初対決をはずして江川を翌2日に出したのだ。

 筆者も記憶にあるが、なぜか前日に勝利した小林繁は異様に興奮していた。彼の心情もわかる。翌日の江川はプロ初登板というのに笑みさえ浮かべていた。そして阪神はその江川からスタントン、若菜、ラインバックが本塁打を放ち5-4で彼の鼻っ柱を折ったのだ。4番掛布が腰痛で不在だったけれど…。

 前日の勝者小林繁が近寄りがたいほどナーバスで、2日に苦杯をなめた江川は「1点差とはほどよい“負け方”でした」とニヤリとして阪神ファンの神経を逆なでした。

 その夜、後楽園は異様な空気につつまれたが、阪神の永久欠番、村山実氏もまた、ため息まじりに江川をこう評した。「彼の計算ずくの投球に稲尾和久の老獪(ろうかい)さの幻影をみたヮ」

 のちに同い年の『掛布vs江川』は167打数48安打(打率・287)、14本塁打。『長嶋vs村山』とほぼ同じで、まさに「互角」のまま心に染みる闘いとして残った。

 -花はさかりに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかわ…(吉田兼好『徒然草』)という。花は咲き、月は満月だけのものなのか…。兼好は「それは人間の受け取る側の心の問題だ」と説いた。今、世界は新型コロナの狂乱にゆれる。あの頃の江川卓と小林繁のように戦ってもらいたいと思うのだが…。

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