【よみがえるノムラの金言】野村克也氏「監督とベンチが傍観者になってはいけない」 - SANSPO.COM(サンスポ)

【よみがえるノムラの金言】野村克也氏「監督とベンチが傍観者になってはいけない」

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前田(手前)の球を堂上(奥)が打ち返し  監督の腕の見せ所は? グラウンドへの目配せは? 2月11日に急逝した野村克也さん(享年84)が、サンケイスポーツ専属評論家として本紙に残した金言を振り返る、ヘリテージ(遺産)連載。「傍観者になってはいけない」。今回も、いわば上司の心得編。(構成・内井義隆)

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 ノムさんの代名詞でもある「ボヤキ」から始まったのは、2015年5月12日の巨人-広島(東京ドーム)。『ノムラの考え』だった。

 「選手に任せる、といえば聞こえはよい。今の球界の風潮かもしれないが…。それでは、監督の腕の見せ所がなくなる」

 評論の矛先は、まず広島のバッテリーへ向けられ、やがて緒方孝市監督ら首脳陣に行きつく。

 広島・前田健太、巨人・菅野智之の両投手が先発し、広島の1-0リードで迎えた終盤の攻防が、テーマになった。

 七回裏。前田が1死から井端弘和内野手に安打され、代走に足のスペシャリスト、片岡治大内野手が登場。

 「エースの投げ合いで、終盤に入った。1点を守りきることを考えねばならない展開だ」と、前提を掲げたノムさん。

 巨人はどこかで片岡を走らせる。広島はそれを見破る。走者を刺せるか、進塁を許すか。その勝負心が問われる、と駆け引きを見守った。

 ところが広島バッテリーは、打者・堂上剛裕外野手に投げた6球中、ただの1球もピッチドアウトしなかった。

 3球目で、カウント1-2。片岡はここまでスタートを切っていない。「そろそろ走る、と考えるのが当然で、しかも外しやすいカウント」と、なお注視したが、ピッチドアウトはない。4球目、5球目と片岡が走り、いずれも堂上がファウル。6球目、またも片岡が走り、堂上が左翼へ二塁打。一気に生還を許し、同点にされた。

 「前田はけん制球を、はさんではいた。それでは十分といえない。1球でも外すところを見せないと、相手の動きは止められない」と防御の不備を指摘。「変化球を投げたときに走られたくない、という心理から、ストレート中心になる」と、直球で同点打を浴びた配球の安直さも指摘。

 「バッテリーに、そこに気づく余裕がないのであれば、ベンチが指示を出さねばなるまい。1点を争う展開こそ、ベンチの腕の見せ所なのだから」と結論付けた。

 広島ベンチへの不満は、まだ続く。1-2と逆転されて迎えた九回表の攻撃。1死二塁で、沢村拓一投手がセットポジションに入ってから、左足のかかとを少し上げる動作を繰り返していたことに着目。就任1年目の緒方監督に助言した。

 「私が監督なら、セットポジションで静止していない、ボークではないか、と抗議する。走者のスタートの遅れは勝敗を左右するし、抗議することで沢村のリズムが狂うこともある」

 そして、金言。

 「選手を信頼して任せる。それは試合を進めているだけで、勝負をしていない。勝敗を分ける局面で、監督とベンチが傍観者になっては、いけない」

 上司たるもの、現実から目をそらさず、修羅場から逃げ出すな-。そんな教訓とも受け取れる。「見守る」と「傍観する」は、違うのだから。

ノムラの考え

 本紙専属評論家の野村克也さんが、野球理論から人生観までを歯に衣着せぬ直言で説く連載企画。本紙初評論は1967年10月19日掲載の大阪版。「ノムさん観戦記」と題し、同年の日本シリーズ(巨人-阪急)を現役捕手の視点から評論。現役引退後も的確な解説を行い、原稿で取り上げられた選手のロッカーに、記事の切り抜きが張り出されたこともあった。野球ノート「野村の考へ(え)」は、息子の克則氏(現楽天作戦コーチ)のために書き上げた教科書だった。2019年10月24日掲載の日本シリーズ第4戦の評論を最後に幕を閉じた。

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