【小早川毅彦のベースボールカルテ】アテネ五輪の“戦友”松島アナ、突然の訃報が残念でならない - SANSPO.COM(サンスポ)

【小早川毅彦のベースボールカルテ】アテネ五輪の“戦友”松島アナ、突然の訃報が残念でならない

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死去した文化放送・松島茂アナ  突然の訃報に驚き、残念でならなかった。文化放送でスポーツ実況を担当していた松島茂アナウンサーが23日、肺腺がんのため亡くなった。47歳は早すぎる。

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 松島さんとは、2004年アテネ五輪のラジオ中継で一緒だった。そのときのメンバーが「アテネ会」として今も年に1度、新年会または忘年会で集まっている。彼は正月の東京箱根間往復大学駅伝競走の中継も担当していたので、取材した選手の裏話をよく披露してくれた。今年の新年会は欠席で、幹事の初田啓介アナウンサー(TBS)に尋ねると、「体調が悪いので今回は…」とのこと。まさか大病とは思いもしなかったのでお見舞いにも行かず、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 五輪の中継はNHKと民放各社が局の垣根を越えて共同で行い、テレビとラジオに分かれて、アナウンサーを派遣する。私はラジオで野球の解説を担当。ちなみに、テレビの解説は故星野仙一さんだった。

 アナウンサーは野球だけでなく、他競技の中継も担当。人手が足りず、各競技の解説者が移動する車や通訳の手配も行っていた。解説者は報道陣の拠点となるメインプレスセンター(MPC)まで車で20-30分のホテルが用意されたが、アナウンサーの宿舎は、われわれのホテルからMPCを挟んで逆方向に車で約1時間。解説者を迎えに行こうものなら、1時間半かかった。真面目で何事にも一生懸命だった松島さんは、みんなにかわいがられていた。

 球場での中継は過酷を極めた。放送ブースは観客席に机を置いただけの仮設。第2球場は屋根がなく、デーゲームでは暑さをしのぐため、ペットボトルの水を頭から垂らしながらマイクに向かったこともある。大会中盤には懇親会が開かれ、ドンチャン騒ぎした。レストランから見えた、ライトアップされたパルテノン神殿の美しさは、今も目に焼き付いている。

 今夏に、あれから4度目の夏季五輪を迎える。アテネ会のたびに「東京まで、あと×年だね」と言い合ってきたが、開幕まで5カ月を切った。侍ジャパンの戦いを見ながら、きっと“戦友”のことを思い出すだろう。 (サンケイスポーツ専属評論家)

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